テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

NNNドキュメント’15 3・11大震災シリーズ59 震災の棘 津波に消えたわが子

番組ID
209201
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年03月02日(月)00:50~01:20
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
製作者
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
制作社
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
出演者
ナレーター:玉川砂記子
スタッフ
題字:柿沼康二、タイトル:日野薫、撮影:鎌田勝一郎、編集:鎌田勝一郎、音声:本田りみ、テロップ:佐々木昭信、CG:玉川哲也、ミキサー:山口誠、音響効果:番匠祐司、構成:千野克彦、ディレクター:小野寺聡彦、プロデューサー:渡邊司
概要
宮城県名取市閖上地区で東日本大震災の語り部として活動する丹野祐子さん。丹野さんを突き動かすのはあの日の後悔だ。長男の公太くん(当時13歳)と義理の父母の家族3人を亡くした。地震の後、丹野さんは公太くんと一緒に自宅近くの公民館グラウンドに避難していた。そこに襲った津波。近くにいながら言えなかった「逃げなさい」の一言。あの日の後悔、悲しみは“震災の棘”として、心の奥底に深く突き刺さったままだ。◆震災から3年半、現地再建での復興まちづくりが始まろうとしていた。本来、喜ぶべきはずの復興なのに揺れ動く心。丹野さんは語り部を続けるか迷っていた。まちが生まれ変わることは、公太くんとの思い出が消えることを意味する。息子への思いが変わらずに語り継げるのか…。その答えを探していた時、丹野さんが訪れたのは遠く離れた沖縄の地。70年前の沖縄戦の悲劇を語り継ぐ「元ひめゆり学徒隊」の女性との交流を通して、震災の語り部として生きていく覚悟を決めた。◆2014年12月、かさ上げ工事に伴い、丹野さんの自宅跡が無くなった。次に起こる震災の前に、津波の悲劇を語り続けたい…。丹野さんは震災の風化を防ごうと、公太くんが生きた故郷・閖上地区に戻る決断をした。

同じ年代の公開番組

新春ドラマ特別企画 わが家

人材レンタル会社「友情物語」のスタッフ・桜木一歩(向井理)は、都会の片隅で他人の孤独や心の傷を埋める稼業を何となくこなす日々を送っていた。器量が良く客からも人気の一歩だが、家庭を持つ気は全くない。子供の頃に父・武士(長塚京三)が突然家を出て行ったという過去があるからだ。一歩の妹・ほの香(村川絵梨)も東京でバスガイドをしているが、互いに連絡先さえ知らない。三浦半島の二人の実家では母・鯛子(田中裕子)が、正月さえ帰らない子供たちに不満を募らせつつも、音信不通の夫や子供たちがいつ帰ってきてもいいように気丈に家を守っていた。ある日、ほの香から鯛子に「結婚するので先方の家族と会って欲しい」と電話が入る。同じ頃、常連客の一人暮らしのお年寄り・琴子(草村礼子)のもとで疑似家族を演じていた一歩にも、ある仕事が舞い込んでいた。ほの香が、結婚相手に挨拶する時のために、偶然にも「友情物語」で父親役と兄役をレンタルしようとしていたのだ。◆家族とは、本当の親孝行とは何か。バラバラだった家族の失われた絆が取り戻される日は来るのだろうか。


recent_actorsドラマtvテレビ番組
ひろしま百景 ~被爆70年・奇跡の街~ 人間の絆 “Human Bondage” (英語字幕版)

原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆原爆投下で、市中銀行(芸備・住友・安田・帝国・三和・興銀・勧銀・農中・商中・日本貯蓄・三菱・庶民金庫)は、壊滅状態となった。爆心地から約380mの近距離にあった日本銀行広島支店も、甚大な被害を受けたが、地下金庫は無事だった。「罹災市民のためにも、何とか早く営業しなければ…」。8日には、支店内を貸し店舗として12の銀行が共同で営業を再開。「常に預金者に不安を与えてはならぬ、早く処理してあげよ…」(当時日本銀行広島支店・吉川智慧丸支店長)。殆どが、通帳や印鑑がない者ばかりで、取り扱いは困難を極めたが、各銀行とも力を合わせて臨機応変にがんばった。銀行の再開は、市民の復旧意欲を沸き上がらせる最初のスタートとなった。(英語字幕版)


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組