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テレビ番組

連続テレビ小説 てっぱん〔151・終〕 かならず朝は来る

番組ID
209098
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放送日時
2011年04月02日(土)08:00~08:15
時間(分)
15
ジャンル
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ドラマ
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK、NHK大阪
出演者
スタッフ
作:今井雅子、音楽:葉加瀬太郎、音楽:啼鵬、デザイン:森本千絵、指導:やまさきしょうこ(トランペット)、監修:吉岡知子(料理)、フード:吉岡秀治、指導:佐竹佐和子(お好み焼き)、考証:西谷昌也(医事)、ことば指導:原尚子、ことば指導:田中恵理
概要
鉄板(てっぱん)が結ぶ、尾道と大阪の家族の物語。村上あかりは家族とトランペットとお好み焼きが大好きで“がんぼたれ”な尾道の高校生。高校卒業後に大阪に出たあかりは、ひょんなことから実の祖母と一緒にお好み焼き店を開店、尾道と大阪の家族をつなぐ存在として成長していく。作:寺田敏雄。NHK連続テレビ小説第83作。(2010年9月27日~2011年4月2日放送、全151回)◆最終週「かならず朝は来る」(最終回)。あかり(瀧本美織)と共に尾道のベッチャー祭りに参加した初音(富司純子)は、錠(遠藤憲一)たちから「鬼に逃げまどっていた子が、いつしか鬼を追いかけ回し、やがて鬼の役になっていくのだ」と聞き、何かが振り切れる。「いつまでも追いかけたい、おばあちゃんでいてほしい」と言われた初音は、あかりのよきライバルでいることを決意する。そして春。田中荘は、あかりと初音が張り合いながら働く場所へと変わっていた。◆解説副音声あり
受賞歴
ギャラクシー賞(第48回奨励賞(富司純子))

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