テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

目撃!日本列島 “ハンセンの島”のカフェ

番組ID
208135
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2011年06月18日(土)11:30~11:53
時間(分)
23
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK、NHK高松
出演者
語り:戸田菜穂
スタッフ
取材:信藤敦子、取材:早坂茂樹、撮影:山崎章由、音声:小川一登、音響効果:大池隆仁、編集:江川雅人、ディレクター:末廣信吾、制作統括:大隅直樹、制作統括:山中賢二
概要
国のハンセン病療養所「大島青松園」がある香川県・大島に、毎月2週間、愛知県から2人の20代女性がやって来る。彼女たちは療養所で暮らす元患者に向けた喫茶店「カフェ・シヨル」を営業し、国の隔離政策によって差別され続けてきた元患者たちと交流を続けている。国の政策の誤りを認めた熊本地裁の判決から10年。差別の歴史を乗り越え、元患者と2人の女性は共に歩むことができるのか。“ハンセンの島”の今を見つめる。

同じ年代の公開番組

NNNドキュメント’11 3・11大震災シリーズ14 ひまわりの咲いた夏 ~大川小・津波に消えた命~

2011年3月11日の東日本大震災で、児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校。当時6年生だった狩野愛さん。震災の日の朝、学校へ登校したまま帰ってこない。「愛ダメかもしれない」。母・あけみさんは日記に心境を書き、せめて遺体をみつけたいと学校周辺を探し続けた。◆津波の避難場所に指定されていた大川小学校。地震発生から40分近くたっても、児童たちは校庭に集められたままだった。「津波が来ます、避難してください」。石巻市の広報車の呼びかけで近くの高台へ歩きだしたが、その途中で先生と児童たちは津波に襲われた。◆大川小の児童で津波の難を逃れたのは34人のみ。いつしか遺族側と生存児童側の二つに分けられ、両者の間には溝ができていた。四十九日の合同供養のあと、警察からあけみさんに連絡が入った。「女の子の遺体がみつかった」。変わり果てた愛さんとの対面はトラックのコンテナの中だった。◆愛さんの同級生の浮津天音さん。津波が来る前に親に連れられ帰宅し、難を逃れた。「何で自分が生き残っちゃったんだろう」。負い目を感じ、自分が生き残された意味を考え続けていた。そして自分にしかできないこととして、在りし日の友達の学校での姿を遺族に伝えることにした。◆震災から半年後、あけみさんと天音さんは対話した。あけみさんは娘の新たな側面を知る。そしてともに前を向き始めた。あけみさんが愛さんの成長を代わりに託して植えたひまわり。満開の花を咲かせたそのひまわりに、母は娘の笑顔を重ねる。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
母の衣に抱かれて 津軽袰月ものがたり / 第25回民教協スペシャル

青森県東津軽郡今別町袰月(ほろづき)。津軽海峡の寒風吹きつけるこの集落は、青森県で最も高齢化の進んだ地域だ。その平均年齢は73歳。39世帯63人が暮らす。◆漁師の米田時二さん(87)は今でも海へ出る。9年前に奥さんを亡くし、一人暮らし。それまで料理をしたことがなく困っていたところに、毎日近所の人たちから差し入れが届いた。冷蔵庫の中にはもらったおかずがいくつも入っている。「とっても助かっている。みんなに生かされているようなものだ」と時二さん。◆最高齢の小倉直一さん(88)は桜が大好きだ。岩にへばりつく様に生えた桜の木の生命力に感動し、その枝を使ってさし木を始めた。直一さんは毎日様子を見にやってくる。さし木が花を付けるのは何年も先だが、「土手を桜でいっぱいにしたい」と言う。◆この集落に小倉龍毅さん(66)が夫婦でUターンしてきた。15歳で袰月を離れ、東京生活が長かった龍毅さんだが、定年を迎え故郷へ帰って来たのだ。龍毅さんはかつての賑わいが無くなってしまった袰月を見て、何とかしたいと思うようになった。そして、袰月で採れた天然ワカメを道の駅で販売し始めた。販路を拡大して雇用を創出するのが狙いだ。◆カメラは2年10ヶ月この集落に寄り添った。そこで見えてきたものは、現代社会から消えてしまった「結いの心」。しかし、決して折れないその心とは裏腹に、高齢化による「限界」が近づいていく。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.