テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

吉田類の北海道港町めぐり 室蘭編

番組ID
207192
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2012年08月05日(日)16:00~16:30
時間(分)
25
ジャンル
groups
芸能・バラエティー
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
北海道放送(HBC)
製作者
北海道放送(HBC)
制作社
北海道放送(HBC)、HBCメディアクリエート
出演者
吉田類、室谷香菜子、ナレーター:グッチー
スタッフ
カメラ:稲沢英俊、VE:山内博貴、音響効果:高橋伸哉、ディレクター:平井美樹夫、ディレクター:木下純一郎、ディレクター:上領光、プロデューサー:長谷川孝幸
概要
酒場詩人・吉田類の北海道港町めぐり第3弾。この回は鉄のまち・室蘭をぶらり歩く。同行するのはHBCの室谷香菜子アナウンサー。◆絶景のむろらん地球岬から旅はスタート。立ち寄ったそば屋で、沸沸と湯気が立ち上る室蘭スタイルのカツ丼に、類さんは驚く。次に向かったのは、鉄の街ならではの人気スポット・ボルタ工房。ボルトやネジなどの金属だけで表情豊かに仕上げる人形作りに挑戦する。さらには、地元・室蘭っこが通う穴場の焼き鳥屋や居酒屋で、美味しい料理とお酒を堪能。お店では常連さんと打ち解けて、大いに盛り上がる。そして、幻想的な工場群の夜景を見ることができるナイトクルージングへ。シメは短い夏を楽しむビアガーデン。2人は室蘭の魅力を再発見する。

同じ年代の公開番組

どーんと鹿児島 黒島 特攻の記憶

鹿児島県の薩摩半島から南西50キロに位置する「黒島」は、海と山々に囲まれた美しい島であるが、悲しい戦争の記憶を持つ。太平洋戦争末期、鹿児島県本土から出撃した特攻機は沖縄への途上で黒島を通過。特攻隊員たちは黒島上空で開聞岳を振り返り内地と決別したという。黒島に不時着した4機の特攻機とその隊員たち。そこには様々な物語が生まれた。安永克己さんは、黒島に不時着した安部正也少尉が戦友のために火傷の薬を届けようと再出撃を決意した際に、船で少尉を本土まで送り届けた。戦友に火傷の薬を届けた後に少尉は帰らぬ人となり、今もなお後悔の念に苦しんでいる。また、江名武彦さんは、特攻隊員として出撃後、黒島に不時着した。黒島でのこと、戦友のことを今も心に刻んでいる。戦友たちの慰霊につとめ、「戦争の記憶」を次世代につなげようと黒島の子供たちに語り始めた江名さんと、安部少尉が薬を投下した様子を黒島の人々の記憶に残したいと再現飛行を計画した安永さん。戦争の記憶を心に刻み、次世代につなげようと活動する人々を取材し、黒島で亡くなった隊員たちの命と平和を考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ボーンマンの約束 ~遺骨収容人 70年目の真実~

その壮絶な生き様から、近年オーストラリアで共感を呼び、「ボーンマン」(遺骨収容人)として広く知られている元日本兵、西村幸吉さん92歳。西村さんは1941年、高知市に駐屯地を置く、日本陸軍直轄の特殊部隊「南海支隊」の一員として戦地ニューギニアに出兵。そこは日本兵10数万人が亡くなった苛酷な戦地だった。厳しい戦況に追い込まれる中、日本軍は撤退を余儀なくされる。怪我や飢え、マラリアなどで置き去りにされる多くの戦友たち。その戦友に西村さんは「必ず、お前たちの骨を拾い、日本に届ける」と約束した。◆復員後、西村さんは機械設計の会社で成功するものの、還暦を迎えた頃、戦友との約束を果たすためだけに社会的地位や幸せな家庭までも捨て、パプアニューギニアへ移住する。パプアニューギニアでの日本兵の遺骨のほとんどは戦地に放置されたままだった。ひどい場合は、欧米観光客の見世物にされていた。このままでは戦死した仲間が報われない…。西村さんは国に代わって戦友の遺骨を探し続け、これまでに少なくとも600体以上の遺骨を掘った。◆オーストラリアではいま、生涯をかけ戦友の遺骨を拾う西村さんの生き様を、高校生が授業で学んでいる。オーストラリア兵の視点だけでなく、日本兵の立場からも戦争の歴史を見つめ、同じ過ちを繰り返さないようにという考えからだ。高校生たちは、個人で遺骨収集を行う西村さんの姿に驚き、感銘を受ける。◆2011年7月、西村さんは恐らく最後となるだろうパプアニューギニアの慰霊に遺族らと訪れた。戦友との約束にけじめをつけるため、また数少なくなった戦争体験者として戦争の事実を語り伝えたいと考えたからだった。西村さんがなぜ、戦友との約束を守ろうとしたのか。彼にとって「約束」とは何か…。そこには70年目にして明らかになった、彼と戦友との命をかけた重い真実があった。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
600キロを結ぶ友情 ~名古屋市と陸前高田市の間に生まれた絆~

東日本大震災の発生から1年半以上が過ぎた。名古屋市は陸前高田市に対して様々な行政支援を続けている。両市の距離およそ600キロをつないで生まれた、様々な「友情」や「絆」を描く。◆津波に耐えた「奇跡の一本松」の近くには、同じく一本だけ残った「奇跡のケヤキ」の木があった。名古屋市と愛知県造園建設業協会は協力し、このケヤキの本格的治療に取りかかった。高田小学校の児童がこのケヤキに名前を付けた。そして、ケヤキには新しい芽吹きが…。◆名古屋市による行政機能の「丸ごと支援」で、男性保健師は陸前高田市の全ての家庭をまわり、健康状態の聞き取り調査をおこなった。日々の活動を重ねる中で、彼はおばあちゃんたちのアイドルとなっている。◆「ともだちプロジェクト」は、次を担う世代の理解のためにも、復興支援の重要なプロジェクト。修学旅行などが中止になってしまった陸前高田市の中学生に対して、名古屋市が生徒たちを招待。また2012年からは、名古屋市の中学生が陸前高田市を訪れることになった。仮設住宅に住む被災者が中学生に語った言葉は…。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
NNNドキュメント’12 3・11大震災シリーズ 遠きフクシマの故郷 ~さまよえる家族たち~

愛知県で避難生活を続ける大沼勇治さん夫妻に長男が誕生したのは、避難から間もない2011年6月だった。故郷・福島県双葉町を知らずに育つ息子のために、夫婦は原発から4kmにあって警戒区域に指定されたままの自宅へ一時帰宅を繰り返し、カメラで記録し続けている。勇治さんはある場所にこだわりがあった。そこに掲げられた「原子力 明るい未来のエネルギー」は小学6年生の時に作って表彰された標語。原発事故は勇治さんに重荷を背負わせることとなった。原発とともに歩み、帰還の目途も立たない故郷…。標語の作者として複雑な思いが交錯する。◆福島県郡山市は避難区域には指定されなかったが、放射線量が高い場所もあり、住民は不安に揺れた。中村美紀さんは3人の娘を連れ、山形県に避難した。夫は仕事があり、生活維持のため、郡山に残った。離れて暮らす家族の経済的負担は重い。山形まで車で3時間の道を夫が来てくれるのは月1、2回。3人の育ち盛りの娘を抱えながら、日々の不安と悩みを夫と分かち合えないことが辛い。山形に避難した家族は1万人以上。美紀さんは同じ境遇のママたちが集まれる会を立ち上げたが、長引く避難生活に、福島に戻ろうという人も増え始めてきた。子供の学校の心配、住宅ローンなど経済面の理由もあるが、何より家族一緒にいたいという願いからだ。◆東日本大震災、原発事故から1年9か月。奪われた家族の日常と故郷で暮らす平穏な日々。それらを取り戻すには道のりはまだ遠く、道筋もはっきりとは見えない。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.