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テレビ番組

ウッティ発! 一枚の写真 左手一本のシュート

番組ID
206534
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放送日時
2011年04月27日(水)19:00~19:55
時間(分)
48
ジャンル
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ドキュメンタリー
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スポーツ
放送局
テレビ山梨(UTY)
製作者
テレビ山梨(UTY)
制作社
テレビ山梨(UTY)
出演者
ナレーション:新井田雅樹
スタッフ
MA:石井勇人、音響効果:田中健、写真:河合博司、カメラ:浅川豪、カメラ:長田和也、タイトル:龍川登司雄、制作統括:古屋光、制作:古屋未知男、プロデューサー:平岡豊、ディレクター:古屋孝樹
概要
山梨県中央市出身の田中正幸君は小学生からバスケットボールを始め、身長166センチながら中学時代には県選抜にも選ばれる注目の選手だった。そして強豪・日川高校への進学が決定。入学式の5日前、日川高校バスケット部の遠征に特別参加した彼は、脳動静脈奇形による脳出血で倒れた。病院に運ばれて緊急手術。手術から11日目、奇跡的に意識が戻るが、言葉と右半身の自由を失っていた。「もうバスケットは出来ない…」誰もがそう思ったが、そこから彼の懸命なリハビリの日々が始まった。1年後の4月に復学し、リハビリを続けながら部活に通う。バスケット部のために自分が出来ることをやろうと、自主的にチームの雑務を担当。そうした中で、左手だけで延々とシュート練習を続けてきた。そして3年生になった6月、彼は公式戦のコートに立ち、シュートを決める。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第59回青少年向け番組最優秀)
放送ライブラリー以外で視聴可能な施設

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どさんこドキュメント 届かない最期の声 死因究明の闇

1988年11月、齋藤愼也さん(享年29歳)は北海道北見市のアパート自室の浴槽で死亡していた。警察の判断は「溺死」。事故直前、愼也さんがアパートのガス湯沸器の不調を訴えていたことから、父・武雄さんは死因究明のために司法解剖を求めたが、実施されなかった。しかしわずか5か月後、同じ部屋で次に入居した男女が一酸化炭素中毒で死亡した。原因は同じ湯沸器の故障だった。武雄さんは「息子の死因を特定していれば、2人の死は防げたはず」と、愼也さんの最期の声を聞いてあげられなかったことを悔やんでいる。◆旭川医科大学1階にある剖検室。2010年にここで解剖された遺体は211体。解剖後の検査を含めれば、ほぼ毎日解剖に携わっている計算だ。「これ以上の受け入れは難しい」」と話すのは清水惠子教授。教育と研究という大学の本分が侵され、大学の経営にもプラスにならない司法解剖を積極的に引き受ける機関は減っている。事態は深刻化しつつあり、青森県の司法解剖を一手に引き受けていた弘前大学は、解剖の受け入れを停止した。理由は「責任を持って受け入れられる数を超えた」ことであった。「どこの地方大学でも起こりうる事態」だと関係者は指摘する。◆今の制度では、事件捜査と関係する司法解剖には捜査機関が関心を持つが、事件性がない解剖については監督責任者がいない。制度の不備は、避けられるはずの悲劇を繰り返し続けることを意味している。死はあらゆる人に平等に訪れる。人生の最期の声を聞き取る、全国一律の死因究明制度の確立が求められている。


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