テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

IBC報道特別番組 ―明日への証― “釜石の奇跡”の真実 ~大津波を生き残った子どもたち~

番組ID
206326
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2011年10月19日(水)19:00~19:55
時間(分)
49
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
ondemand_video
報道・時事
放送局
IBC岩手放送
製作者
IBC岩手放送
制作社
IBC岩手放送
出演者
ナレーション:神山浩樹
スタッフ
タイトル:藤村香織、カメラ:前川隆、カメラ:水沢桂、編集:福田実、ディレクター:鹿野真源、デスク:宿輪智浩、プロデューサー:眞下卓也
概要
東日本大震災の津波で校舎が全壊した岩手県の釜石東中学校。校舎3階まで浸水する大きな被害を受けながらも、学校にいた生徒・職員全員は、近くにある鵜住居小学校の児童とともに無事避難した。彼らの生存は一つの言葉とともに、全国から注目を集めることとなった。“釜石の奇跡”だ。◆生徒たちの避難は、本当に奇跡的なものだったのか。当時、釜石東中学校の英語教諭だった齋藤真さんに案内してもらいながら、当日の生徒たちの行動を辿った。避難の経過を振り返りながら、齋藤さんはこう語った。「生徒達はもう一度同じことが起こっても、避難して命を守ってくれる。なぜなら、彼らの避難は奇跡ではないから」。◆震災前から釜石東中学校の防災教育に関わってきた群馬大学大学院の片田敏孝教授もまた、生徒達の避難を「奇跡」と捉えることに違和感を抱く。生徒たちの避難が、これまでの訓練や津波学習に裏打ちされていたことが見えてきた。◆一方、生徒たちは「“釜石の奇跡”と呼ばれる自分たちに、できることは何か?」という問いに向き合っていた。津波の記憶を次の世代へと繋ぎたい、自分たちの現実を世の中に発信したい…。釜石東中学校の2年生たちは内陸・盛岡で行った宿泊研修で、その第一歩を踏み出すことになった。

同じ年代の公開番組

どさんこドキュメント 届かない最期の声 死因究明の闇

1988年11月、齋藤愼也さん(享年29歳)は北海道北見市のアパート自室の浴槽で死亡していた。警察の判断は「溺死」。事故直前、愼也さんがアパートのガス湯沸器の不調を訴えていたことから、父・武雄さんは死因究明のために司法解剖を求めたが、実施されなかった。しかしわずか5か月後、同じ部屋で次に入居した男女が一酸化炭素中毒で死亡した。原因は同じ湯沸器の故障だった。武雄さんは「息子の死因を特定していれば、2人の死は防げたはず」と、愼也さんの最期の声を聞いてあげられなかったことを悔やんでいる。◆旭川医科大学1階にある剖検室。2010年にここで解剖された遺体は211体。解剖後の検査を含めれば、ほぼ毎日解剖に携わっている計算だ。「これ以上の受け入れは難しい」」と話すのは清水惠子教授。教育と研究という大学の本分が侵され、大学の経営にもプラスにならない司法解剖を積極的に引き受ける機関は減っている。事態は深刻化しつつあり、青森県の司法解剖を一手に引き受けていた弘前大学は、解剖の受け入れを停止した。理由は「責任を持って受け入れられる数を超えた」ことであった。「どこの地方大学でも起こりうる事態」だと関係者は指摘する。◆今の制度では、事件捜査と関係する司法解剖には捜査機関が関心を持つが、事件性がない解剖については監督責任者がいない。制度の不備は、避けられるはずの悲劇を繰り返し続けることを意味している。死はあらゆる人に平等に訪れる。人生の最期の声を聞き取る、全国一律の死因究明制度の確立が求められている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
NNNドキュメント’11 3・11大震災シリーズ14 ひまわりの咲いた夏 ~大川小・津波に消えた命~

2011年3月11日の東日本大震災で、児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校。当時6年生だった狩野愛さん。震災の日の朝、学校へ登校したまま帰ってこない。「愛ダメかもしれない」。母・あけみさんは日記に心境を書き、せめて遺体をみつけたいと学校周辺を探し続けた。◆津波の避難場所に指定されていた大川小学校。地震発生から40分近くたっても、児童たちは校庭に集められたままだった。「津波が来ます、避難してください」。石巻市の広報車の呼びかけで近くの高台へ歩きだしたが、その途中で先生と児童たちは津波に襲われた。◆大川小の児童で津波の難を逃れたのは34人のみ。いつしか遺族側と生存児童側の二つに分けられ、両者の間には溝ができていた。四十九日の合同供養のあと、警察からあけみさんに連絡が入った。「女の子の遺体がみつかった」。変わり果てた愛さんとの対面はトラックのコンテナの中だった。◆愛さんの同級生の浮津天音さん。津波が来る前に親に連れられ帰宅し、難を逃れた。「何で自分が生き残っちゃったんだろう」。負い目を感じ、自分が生き残された意味を考え続けていた。そして自分にしかできないこととして、在りし日の友達の学校での姿を遺族に伝えることにした。◆震災から半年後、あけみさんと天音さんは対話した。あけみさんは娘の新たな側面を知る。そしてともに前を向き始めた。あけみさんが愛さんの成長を代わりに託して植えたひまわり。満開の花を咲かせたそのひまわりに、母は娘の笑顔を重ねる。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組