テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

映像’11 大逆事件 百年後を生きる

番組ID
205591
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2011年02月21日(月)00:50~01:50
時間(分)
51
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
毎日放送(MBS)
製作者
毎日放送(MBS)
制作社
毎日放送(MBS)
出演者
瀬戸内寂聴平沼赳夫、ナレーター:西靖
スタッフ
撮影:富田宗孝、撮影:伊藤友一、編集:田中健、録音:外島真由美、選曲:渋谷安昭、タイトル:小林裕明、VTR:中西章史、ディレクター:津村健夫、プロデューサー:赤阪研二
概要
明治時代、幸徳秋水ら12人が処刑された大逆事件(1910年摘発、1911年1月処刑)。暗殺の謀議は、社会主義者弾圧のためのでっち上げだったという証言や、事件に連座した人の親戚が「逆徒」と後ろ指をさされて生きたという証言を紹介。事件を題材に小説を書いた瀬戸内寂聴や、裁判の検事を務め後に首相になった平沼騏一郎の親族にあたる平沼赳夫も、カメラの前で初めて事件について語る。思想弾圧の問題だけでなく、検事の見立てに合う調書の作成といった冤罪の問題は、現代にも通じる。

同じ年代の公開番組

テレメンタリー2011 “3.11”を忘れない7 走れ!三鉄

2011年3月11日。岩手県の三陸鉄道は大津波に飲み込まれ、駅舎は跡形もなくなり、高架橋や線路はずたずたに寸断された。住民から“三鉄(さんてつ)”と親しみを込めて呼ばれる三陸鉄道。入り組んだ沿岸部を走る三鉄は、震災からわずか5日後に“復興支援列車”として一部の区間で運転を再開した。「三鉄が動いていれば、いつもの生活ができているという気持ちになってもらえるのでは…」運転士は祈るような気持ちで語った。◆通学、通院、買い物…。三鉄は赤字を抱えながらも、地域の足として走り続けてきた。1984年の開業以来、三鉄を利用してきた漁師は、村中の人たちが集まって一番列車に旗を振ったあの日のように、三鉄が復活する日を心待ちにしている。津波で大切なものを奪われた人たちにとって、三鉄は一筋の光なのだ。◆赤字ローカル線の三鉄は、国の支援がなければ全線を復旧させることは不可能だ。それでも三鉄は瓦礫のまちを走り出した。地域住民の希望を乗せ、“復興への鉄路”となることを信じて。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
ドラマスペシャル 遺恨あり 明治十三年 最後の仇討

明治13年(1880)に起きた最後の仇討とされる「臼井六郎仇討事件」を基に、人間の誇りと愛を描くドラマ。原作:吉村昭、脚本:後藤法子、源孝志。◆江戸城無血開城から間もない慶応4年、九州の小藩・秋月藩の執政・臼井亘理(豊原功補)と妻の清(濱田万葉)が同藩の過激攘夷派の藩士に殺害された。開国派を率いる亘理と対立する攘夷派の国家老・吉田悟助(石橋蓮司)がそそのかしたのだった。亘理の息子・六郎(桑代貴明)は両親の死にただ茫然とするしかなかった。開国派の藩士たちは仇討を願い出るが、吉田は事件を闇に葬る。2年後、16歳となった六郎(藤原竜也)は、臼井家に仕えていた下女・なか(松下奈緒)とともに、父を殺したのが一瀬直久(小澤征悦)、母を殺したのが萩谷伝之進(岡田浩暉)であることを調べ上げていた。周囲は仇討を諦めて東京に出て行くが、六郎は独り仇討のため、剣の腕を磨き続けていた。ある日、一瀬が上京すると聞いて仇討を試みるが、一瀬には隙がなかった。翌年、武士の美徳とされてきた仇討が、法律で禁止される。六郎は一瀬を追って上京し、剣術家・山岡鉄舟に弟子入りして仇討を狙い続けていた。そしてついに宿願の時を迎える。六郎は殺人の罪で捕らえられ、判事・中江正嗣(吉岡秀隆)の取り調べを受けるが、世間では六郎の仇討が英雄視されていた。


swords時代劇recent_actorsドラマtvテレビ番組
CBCスペシャル 「伝えたい」 ~静かにふくらむ つぼみ~

10本以上もの映画を作ってきた映像作家・今村彩子。彼女は生まれつき耳が聞こえないろう者。小さい頃からろう学校でなく、一般の公立学校に通っていた。だがやはり言葉で伝えられないというフラストレーションが募り、一時は自宅にひきこもってしまう時期もあったという。そんな時、父親が借りてきてくれた映画「ET」をみて、言葉ではなく心で通じ合うストーリーに感動。映画を作ってみたいという情熱を持った。◆大学時代に海外留学し、本格的に映像を学び始めた今村さんは、卒業後、ろうの人たちの現状や社会に対しての不満を映画として表現し始める。このときの原動力は「怒り」だった。しかし、その怒りを映像という形で伝えようとする一方で、彼女自身は健常者に対して自分から壁を作り、コミュニケーションをとることに消極的だった。◆そんなある時、今村さんは一人の男性と出会った。サーファーショップを経営する太田さん。ろうである彼は積極的に健常者と交流しあい、話せる話せないに関係なく皆を笑顔に変えていく。自分とはあまりに違う彼に大きな衝撃を受けた今村さんは、太田さんを映画に撮ることにした。◆太田さんのお店では、身振り手振り、筆談、ジェスチャーなど、言葉だけではないコミュニケーションで常に賑わっている。そこにあるのは「相手に伝えたい」という気持ち。社会に対しての怒りを映画を作る原動力にしてきた今村さんの心にも、変化が芽生えていった。そして、映画を撮影していく内に東日本大震災が起こる。被災地のろうの人たちが伝えられない不安な思いを自分が伝えてあげたいと、今村さんは被災地に飛ぶ。そこでも彼女の心に大きな変化が…。◆コミュニケーションの基本である「伝える」ということの大切さを、一人の女性の心の成長を描きながら訴えるドキュメンタリー。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
D!アンビシャス 帯広児童劇団 舞台で育む親子の絆

帯広児童劇団の演出家・石田昌志さん63歳。帯広で40年以上アマチュア劇団の舞台演出を手掛けてきた。そして帯広市の依頼を受け、1988年から子どもたちに演技指導をしている。◆帯広児童劇団は25回目となる公演に向けて稽古に励んでいた。劇団員は小学2年生から高校2年生までの男女25人。彼らは特別なオーディションで選ばれた子たちではなく、ダンスも発声方法も全てこの劇団で基礎から学んでいる。◆帯広児童劇団に入るのには、ひとつだけ条件がある。それは親もスタッフとして関わること。舞台の衣装作りをはじめ、お母さんたちは重要な役割りを担う。劇団の最大の目的は、舞台を通して行う「子育て」だ。石田さんは信念を持って子どもと向き合う。稽古は厳しく、そして最後まであきらめない。◆500人が入る帯広市民文化ホールは満席となった。舞台に立つ子どもと、裏方スタッフとして支える親たち。石田さんが帯広児童劇団で目指しているのは、子どもが舞台を成功させること、そして親が家庭とは違う我が子を見てその可能性に気付くことだ。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組