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テレビ番組

爺と丁稚と花 石職人がバイオリン職人に“ものづくり”を教わる

番組ID
205567
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放送日時
2011年03月08日(火)00:29~00:59
時間(分)
23
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
中京テレビ放送(CTV)
製作者
中京テレビ放送(CTV)
制作社
中京テレビ放送(CTV)、中京テレビ映像企画
出演者
スタッフ
撮影:伴尚志、音声:倉本貴幸、編集:渡辺彰、MA:山内敦司、音響効果:宮田勝司、車両:島原有己、構成:松永英隆、ディレクター:兼松俊之、演出:横尾亮太、プロデューサー:横尾亮太、チーフプロデューサー:三澤慎一郎
概要
「爺」道を知る者。「丁稚」道を知らんとする者。「花」受け継がれる心。◆この回の「爺」はバイオリン職人の井筒信一さん(74歳)、「丁稚」は石職人の上野梓さん(29歳)。石という素材でもバイオリンのような「曲線美」を表現したいと、上野さんが井筒さんに教えを乞う。◆冬のある日。長野県松本市にある井筒さんのバイオリン工房を訪れた上野さんは、バイオリン作りの過程で垣間見える繊細な作業を食い入るように見つめる。ともに時間を過ごすうち、二人の間で交わされる言葉は技術論を超えて、ものづくりを極めんとする生き様に迫り始める。

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