テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

テレメンタリー2009 よみがえれ 秘湯の宿 ~栗駒五湯復活にかける主たち~

番組ID
203887
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2009年07月08日(水)01:46~02:16
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
東日本放送(KHB)
製作者
東日本放送(KHB)
制作社
東日本放送(KHB)
出演者
ナレーション:白澤奈緒子
スタッフ
音響効果:田口恭平、MA:有路賢二郎、タイトル:高橋泰行、タイトル:村上大介、編集:尾形公彦、撮影:元木博昭、撮影:加藤諭史、撮影:須田義一、撮影:山田清明、ディレクター:近野邦彦、ディレクター:藤井尚弘、プロデューサー:加藤東興
概要
2008年6月の岩手・宮城内陸地震で大きな被害を受けた栗駒山の温泉郷。温泉宿は山懐に抱かれていたが故に、土石流に飲み込まれ、土砂ダムに沈んだ。重要な観光資源だった温泉の復興は地域再生の鍵を握っている。「みんなで力を合わせて復興しよう」。5つの温泉宿の主たちは「栗駒五湯復興の会」を結成し、動き出した。◆130年あまりの歴史を持つ湯浜温泉「三浦旅館」。全国のファンに愛されてきた「ランプの宿」は、命とも言える源泉が枯れた。主の三浦治さんは一時帰宅のたびに源泉探しに奔走する。「ランプの灯りを消してはいけない」困難に直面してもなお募る思い。心の中のランプは灯されたままだ。元国鉄マンの菅原次男さんが経営する新湯温泉「くりこま荘」は天井が抜け落ちた。修復には1000万円かかるが、高齢の菅原さんにとって資金繰りは苦しい。土石流に飲み込まれ死者、行方不明者を出した駒の湯温泉。菅原昭夫さんは自責の念にかられ、一時は廃業も口にした。◆被害の程度や境遇はそれぞれ異なるが、温泉を復活させたいという思いは全員共通だ。すべてを奪い去った大地震から1年。主たちは地震とどう向き合ってきたのか。秘湯復活にかける主たちの1年を追う。

同じ年代の公開番組

映像’09 私は告発する ~54歳、左遷された男~

兵庫県神戸市に住む西村茂さんは、2004年、勤めていた三菱重工神戸造船所で行なわれていた「監理技術者資格者証」の不正取得をやめるよう、会社のコンプライアンス委員会に申し出た。が、社内に不正をもみ消す動きが出たため、国土交通省に通報するなどして問題の公表に踏み切った。その直後、西村さんは電気設備の設計担当を外され、書類整理や古い書類のワープロ入力などの雑用をするように指示された。さらにたびたび退職を迫られ、同僚からは無視される状態に。2年前には関連会社への出向を命じられ、現在は社宅などの清掃作業をしている。強いストレスのために体毛が抜け、ウツの状態にも悩まされ続ける日々だ。◆西村さんは高校卒業後、三菱重工神戸造船所で働き、種子島でのH-1ロケットの発射実験にも携わり、27歳の時には種子島の事務所長にもなった。「不正を告発するまでは順風満帆なサラリーマン生活だった」という。会社の不正を告発したために不利益をこうむることは納得できないと、2008年11月、三菱重工を相手に出向の取り消しと慰謝料を求めて神戸地方裁判所に訴えを起した。「今の仕事はこれまでのキャリアを全く生かすことが出来ず、明らかな報復人事だ」と憤る西村さんに、三菱重工側は「内部告発をもって社員を出向させたという認識はない」と闘う構えを崩していない。◆番組では、西村さんの内部告発から清掃業務に左遷されるまでの経緯や裁判の動き、それを支える家族の姿を追い、内部告発者に対する「見せしめ的制裁人事」の実態を明らかにするとともに、これまでの証言を織り交ぜながら、内部告発者の保護が不十分な「公益通報者保護法」のあり方も考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ザ・ノンフィクション 特選 終戦記念日スペシャル 黒島を忘れない

2004年に放送された、「終戦記念スペシャル 黒島を忘れない」から5年、番組出演者のその後を追った。九州南部の基地から飛び立ち、沖縄の敵艦に体当たりを仕掛けた特攻作戦では、約3000人の若い命が失われた。しかし、特攻機の中には機体不良のため、途中で海に墜落し、助けられた特攻隊員も少なくない。元海軍特攻隊員、江名武彦氏もその一人で、鹿児島の沖合に浮かぶ黒島に墜落した。黒島ではそのひと月前、胴体着陸した陸軍特攻隊員、柴田信也少尉が瀕死のやけどを負い、民家に伏せっていた。そしてさらに、同じく陸軍特攻隊員、安部正也少尉も黒島に不時着した。安部少尉は、手漕ぎの小舟で本土に渡り、再び出撃した。黒島の上空を旋回する安部少尉の特攻機から薬が入った小包が投下され、柴田少尉は一命を取り留めたが、安部少尉はそのまま沖縄で特攻し、帰らぬ人になった。番組では、柴田氏とともに黒島で生き残った江名氏が柴田氏の遺志を継いで、終戦後59年目の2004年に黒島に建立した観音像と、慰霊祭を中心に取材した前回の番組映像に、新たに取材したその後の彼らの姿を交えて伝える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
映像’09 ラッキードラゴンの伝説 ヤノベケンジ×水都大阪2009

シルバーウィークの午後、大阪・道頓堀。戎橋を通りがかった人たちを巨大なアート船が驚かせた。水面を一匹の巨大なドラゴンが、長い首をもたげて、道頓堀川をこちらに向かってやってきたからだ。首の長さ10メートル、口からは火も、そして水も噴く。名前は「ラッキードラゴン」。気鋭の現代美術作家・ヤノベケンジが、大型イベント「水都大阪2009」のために制作した大型機械彫刻作品だ。◆ヤノベケンジは43歳、大阪生まれの大阪育ち。万博の“未来都市”の取り壊し現場で遊んだ経験から、物語が終わった後の世界での“サバイバル(生存)”をテーマに、自ら「妄想」と呼ぶ作品の数々を発表。さらに、放射線防護服に身を包んでチェルノブイリ原発事故の現場を訪れるパフォーマンスなどの後、終末後の世界からの“リバイバル(再生)”をテーマに作品をつくり、今では国内外のアートシーンの第一線で活動している。◆2009年夏、大阪でかつてない規模のアートイベント「水都大阪2009」が開催されることになり、アーティストの一人として参加することになったヤノベは、水辺から大阪の街を変えようと、新作「ラッキードラゴン」を手がけることにする。制作にあたってヤノベは、東京・夢の島にある「第五福龍丸展示館」を訪れた。1954年、ビキニ諸島でアメリカの水爆実験により被ばくした「第五福龍丸」は、今この展示館で当時のままの姿で保存され、静かに「核のない世界」へのメッセージを発し続けている。「ラッキードラゴン」は「福龍丸」の英語名だ。かつてここで「森の美術館」という、子供のための核シェルター作品を展示したことのあるヤノベは、「福龍丸のメッセージを受け継いだラッキードラゴンが、大阪の街を変える。心に想うことは必ず実現するんだということを、未来の世代に伝えたい」と決意を新たにする。◆番組では、5か月間に及ぶ「ラッキードラゴン」の制作過程に密着。人々を巻き込んで作品をスケールアップしていくヤノベの仕事ぶりを紹介するほか、一般市民など、日頃アートとは無縁の人々までが「ラッキードラゴン」を媒介に想像を豊かに生きるきっかけを得ていく様子をドキュメントする。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.