テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料
かつては「中東のスイス」と謳われたレバノン共和国。その北部にあるレバノンで最も深く険しい谷、カディーシャ峡谷と神のスギの森は、1998年に世界遺産に登録された。◆カディーシャ峡谷は聖なる峡谷という意味で、何世紀にもわたり、キリスト教の修道士たちがこの地で隠遁生活を送ったことに由来する。400m以上の高低差のある崖の斜面に修道士たちが過ごした洞窟や修道院が点在している。一方、神のスギとはレバノン杉のことを指す。レバノン杉は、丈夫で腐りにくいことから富と権力の象徴でもあった。特に森のない国、エジプトからの引き合いが多く、足場や梁だけではなく、虫を寄せ付けず、防水効果に優れていたことから船の建造やファラオの棺やミイラ作りのためにも使われていた。多くの用途で使われた結果、現在レバノン杉は、直径300mほどの小さな森に1200本程度が残るだけとなった。人類の発展を支えた神のスギは、人類の発展によって破壊されてしまったのだった。◆聖アントニウスの洞窟、聖アントニウス修道院、エルサリーブ修道院、カヌービン修道院、エリーシャ修道院
文部省唱歌『牧場の朝』のモデルとなっている福島県鏡石町の岩瀬牧場。岩瀬牧場は、明治9年に、明治天皇が東北巡行の際、鏡石・矢吹・須賀川に広がる原野、約2700町歩の開墾を側近に申しのべたことが発端と伝えられる。その後、伊藤博文内閣により、宮内省直営の「宮内省御開墾所」に指定され日本最初の国営牧場となった。◆岩瀬牧場は、日本で最初の欧州式技術を取り入れた牧場としても知られる。明治40年にはオランダから乳牛13頭、農機具が直輸入された。その時にオランダと日本の友好の印としてオランダから贈られたのが『牧場の朝』にも歌われた鐘(平成13年鏡石町文化財指定)である。◆以前から地元では『牧場の朝』は岩瀬牧場をモデルにしているといわれてきた。作曲は船橋栄吉ということははっきりしていたものの、戦前に誕生した文部省唱歌の多くがそうであったように、『牧場の朝』の作詞者が明記されていなかった。これを伝え聞いた、地元の医師・郷土研究家の最上寛が10年の歳月をかけて調査、考証を重ね、作詞者の解明に取り組んだ。大正末期に旧制安積中学(現・安積高校)で岩瀬牧場に関する文章「牧場の暁」という紀行文を発見した。この紀行文は半鐘の音から始まる岩瀬牧場の朝の様子を描いたもので、当時朝日新聞の記者であった杉村楚人冠が記した「ひとみの旅」の中の一文であることが判明した。◆杉村は明治43年12月に岩瀬牧場を訪れており、牧場の初代場長であった永田恒三郎の家に滞在し、牧場の生活を間近に見ながら数日を過ごしている。これらの事実などをもとに、作曲家であり日本音楽著作権協会の教育音楽委員会の委員長を務めていた平井康三郎らの太鼓判を得て、ついに『牧場の朝』が杉村楚人冠の作詞によるもので、岩瀬牧場をモデルにして作られたということが明らかになった。◆番組では『牧場の朝』の作詞家の解明までの過程を追いながら、モデルとなった岩瀬牧場の歴史やエピソードを紹介する。
「テレビのあり方」を視聴者と話し合う「日テレフォーラム」。この回は視聴者100人と番組制作者4人、そして芸能人や有識者たちが、「テレビのモラル」について討論する。◆まず視聴者100人へ「テレビにモラルはあるか」とアンケート。回答はイエスが29人、ノーが71人となった。討論の大きなテーマは「テレビとプライバシーの関係」「テレビのエンターテインメントのあり方」「テレビの疑問」。ワイドショーでの「知る権利」と人権全般、またバラエティ番組の子どもへの影響などについて、意見が交わされる。最後に視聴者の「テレビへ一言」も紹介する。
アメリカ大陸最大のピラミッドを擁し、紀元前2世紀頃からの数百年の間に築かれた古代文明の都市遺跡であるテオティワカンは、1987年世界遺産に登録された。◆この都市は南北4キロにも伸び、整然と区画された高度なものであったが、この文明は文字による一切の記録を持たなかったためにその統治者の実体がまったく判明していない。しかし、2002年9月、テオティワカンで最も権威を象徴する建造物と考えられる「月のピラミッド」から、マヤの王を象徴するヒスイのペンダントが発見され、テオティワカンの支配層がマヤの文明と何らかの関係を持っていたことが判明した。そのほか最新の発掘レポートと、毎年春分の日に見られる100万人の大祭の模様を伝える。◆太陽のピラミッド、月のピラミッド、ケツァルコアトルのピラミッド
「ロッカーのハナコさん」の第2シリーズ。11年前に不慮の事故で死んでしまったスーパーOLハナコさんが、会社のロッカーに幽霊として住み着き、新人女性社員をビシビシ鍛えていく痛快OLコメディ。原作:石井まゆみ。(2003年10月6日~11月6日放送、全20回)◆第1週「北浦華子 ひと肌脱ぐ! 」(第1回)。つばさ商事のロッカーに住む幽霊・ハナコさん(ともさかりえ)。そのロッカーに何者かが藁人形打ち付けた。ハナコさんは、瑠布子(吹石一恵)らを使って、呪いのターゲットと犯人を突き止めるようとする。
群馬県内に残る伝統的な手法での“ものづくり”の技を伝え残そうと、1993年にスタートした番組。技術はもちろんのこと、作品に反映する“作り手の人柄”も描く。◆利根のスズしょうぎは、文化年間に信州の伊那地方から伝わったといわれる。材料のスズ(細い竹、スズ竹ともいう)が近くの山に豊富にあり、スズしょうぎの特徴である水切れの良さが評価されて、冬場の家内産業として広まった。利根のスズしょうぎは平成5年(1993)に群馬県ふるさと工芸品に認定、小林さんは伝統工芸士に認定されている。
群馬県内に残る伝統的な手法での“ものづくり”の技を伝え残そうと、1993年にスタートした番組。技術はもちろんのこと、作品に反映する“作り手の人柄”も描く。◆前島さんは昭和30年(1955)生まれ、女子美術大学デザイン科を卒業。15年ほど前に出会ったのが、ドイツの建築家、ブルーノ・タウトが県内各地で行った工芸指導の中で生まれ、群馬県の地場産業となっていた「西上州竹川編み」だ。残り少ない職人から独学で技術を教わるなどして復興に努め、これまで県内外で100回近くの個展やグループ展を開催。2003年1月には群馬県ふるさと伝統工芸士に認定され、西上州竹川編みも伝統工芸品に認定された。その製作工程や作品の数々を紹介する。
群馬県内に残る伝統的な手法での“ものづくり”の技を伝え残そうと、1993年にスタートした番組。技術はもちろんのこと、作品に反映する“作り手の人柄”も描く。◆荻原さんは大正11年(1922)、高崎市下豊岡町に生まれた。この地区は古くから張子のだるまの生産が盛んな地域で、さらに養蚕県でもある土地柄から、家ネズミの退散を願って招き猫作りが始められた。豊岡の張子玩具として全国的にも有名である。平成14年度(2002)に群馬県ふるさと伝統工芸品に認定され、荻原さんが伝統工芸士に認定された。その製造工程などを紹介する。
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