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テレビ番組

月が出たでた ~お月さんたちの炭坑節 / 第23回民教協スペシャル

番組ID
203694
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放送日時
2009年02月11日(水)14:00~14:55
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
熊本放送(RKK)
製作者
熊本放送(RKK)
制作社
熊本放送(RKK)、民間放送教育協会
出演者
語り:井川比佐志、報告:井上佳子
スタッフ
撮影:中川亮、撮影:橋本広懇、撮影:大森浩一、音声:牛島孝一郎、編集:田中健太郎、編集:木下浩、音響効果:金子譲、MA:一色勇人、ディレクター:井上佳子、プロデューサー:村上雅通、プロデューサー:秋元隆
概要
かつて三池炭鉱があった福岡県大牟田市で開かれる、炭坑節一万人総踊り。そこへ参加することを「心を開く突破口」だと語る、元炭鉱労働者たちがいる。会員が500人もいる大組織「大牟田・荒尾与論会」の人たちは、炭鉱と与論島との関わりにあまり触れようとしなかった。日本の繁栄を支えた炭鉱、その炭鉱を支えた炭鉱労働者、そのもっとも底辺を支えてきた人たちの歴史と思いを描く。◆与論島から三池への移住が始まったのは1900年(明治33)、未曾有の台風が島を襲い、飢饉につながった。一方、三池炭鉱では慢性的な労働者不足が続いていた。生き延びるために海を渡った与論の人たちを待っていたのは、「ごんぞう」と呼ばれる荷役作業。高収入が得られた採炭現場とは無縁の石炭運びで、重労働で低賃金だった。その一方で、言葉や文化の違いが忌避され、周囲から向けられる視線は冷たいものだった。
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