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テレビ番組

昭和20年8月1日 ~語り継ぐ長岡空襲~ / NST開局40周年記念特別番組

番組ID
203310
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2008年08月04日(月)19:00~20:00
時間(分)
54
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
NST新潟総合テレビ
製作者
NST新潟総合テレビ
制作社
NST新潟総合テレビ、コム
出演者
ナレーター:槇大輔、ナレーター:樋口幸子
スタッフ
構成:関盛秀、撮影:長谷川隆之、撮影:高橋直文、撮影:金井政利、音声:吉田浩和、編集:佐藤誠二、整音:渡辺誠、CG:佐藤篤、CG:前田和也、取材:藤本文昭、ディレクター:渡邊一弘、企画:星貴、演出:星貴、プロデューサー:青山道夫、制作統括:渡邉哲夫
概要
終戦のたった14日前、1945年8月1日に、新潟県長岡市は激しい空襲を受けた。焼失家屋11986戸、死者1476人。多くの命が失われた夜から63年がたった2008年、長岡戦災資料館では空襲を風化させないために空襲で命を落とした人々の遺影の収集を始めた。遺族の高齢化が進む中、最後の機会となる記憶の継承を描く。◆長岡の夏の夜空を彩る長岡大花火の原点が、この空襲の慰霊のためだということを知る人も少なくなった。かけがえのない家族を失った空襲体験者たちは、絞り出すようにあの日の思い出を語る。また、アメリカでも長岡空襲を知る人を探し出し証言を求めた。なぜ地方の中小都市である長岡がこれほどまでの大空襲を受けたのか。また長岡に落とされていた一発の大型爆弾の謎にも迫る。
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