テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

FAV FOUR

番組ID
R24227
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2023年03月06日(月)20:00~23:00
時間(分)
165
ジャンル
adaptive_audio_mic
トーク・ワイドショー
放送局
FM NACK5
製作者
FM NACK5
制作社
FM NACK5、イー・ポップ
出演者
スタッフ
概要
「FAV」とはフェイバリットの略で「お気に入り」や「いいね」を表すネット上のスラング。バカボン鬼塚、JOY、古坂大魔王、はなわの4人のMCが日々の生活の中から感じた「いいね」なことを語り、リスナーとシェアする大人のための雑談バラエティー。一日の終わりの時間、今日を頑張った大人たちに向けて明日誰かに話したくなる「笑える話」や目からうろこの「へ~!」な話を音楽とともにたっぷりと提供する。(2021年4月放送開始)◆月曜日はバカボンと時田穂乃華が担当。今回募集する投稿のお題は「ジャンプしました」。番組の主なコーナーは次のとおり。20時台:一週間の出来事を振り返る「穂乃華の8デイズ・ア・ウィーク」。21時台:投稿されたネタを紹介する「座布団10枚」。22時台:ゲストコーナー。5人組のバンドYAJICO GIRL(ヤジコ・ガール)のボーカルをゲストに招き、話を聞く。

同じ年代の公開番組

音を拾って ~僕らの演奏海~

名古屋を中心にライブ活動を続けるアート集団「ゴミンゾク」。彼らが奏でる楽器はすべて海洋ゴミから作られている。例えば、ペットボトルのキャップと漂着したブイ、釣り糸を使った「プラチックギター」、魚をイメージした馬頭琴ならぬ「魚頭琴(ぎょとうきん)」など、ネーミングもユニークだ。すべての楽器製作を手掛けるのはリーダーの大表史明さん。独学で作られた楽器から生み出される音は、ゴミ由来とわからないほど本格的である。大表さんが海洋ゴミを使った楽器作りに携わるきっかけは、環境保護団体「サンクチュアリNPO」で活動していた佐々木善之さんの存在だった。佐々木さんは2001年から静岡県浜松市の海岸で海洋ゴミの回収を続けている。佐々木さんによるとゴミの量は右肩上がり。鳥類や絶滅危惧種のアカウミガメなどに深刻な被害をもたらしている。佐々木さんは「地域を汚すと人の生活も身体も汚れる。この問題を他人事にせず、自分たちの生活から改善していくことの重要性を伝えたい」と語る。番組では海洋ゴミから楽器を作り出す際のエピソード、楽器たちが生み出す音色、大表さんらゴミンゾクのメンバーや佐々木さんのインタビュー、ゴミンゾクの演奏もオンエア。ゆったりとして澄みきった音の数々に耳を傾けながら、少しでも海に想いを馳せ、日ごろの暮らしを見つめなおす。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成music_note音楽radioラジオ番組
Basketball island OKINAWA ~沖縄バスケ100年の歴史~

今年8月、初めてバスケットボールのワールドカップ開催地となった沖縄。全国的に見ても小学生のバスケットボール普及率は高く、2006年にはプロバスケットボールチーム「琉球ゴールデンキングス」も誕生。2021年には沖縄アリーナが完成し、その沖縄アリーナで世界のスーパースターが集うワールドカップが開催された。沖縄は全国屈指のバスケどころと言われるが、そもそもなぜ沖縄でバスケットボールが盛んになったのか。全国的に見ても平均身長の低い沖縄の選手は、一見ハンデがあるようにも思えるが、沖縄バスケは独自の発展の過程の中で、身長の高い相手とも対等に戦える“沖縄らしさ”を確立してきた。沖縄バスケ発祥の歴史と、アメリカの影響を受けながら独自に発展した過程を追いながら、“沖縄らしいバスケ”について掘り下げる。沖縄バスケと漫画「スラムダンク」のかかわりや、「琉球ゴールデンキングス」の存在意義、歴史に残る今シーズンの初優勝など、様々な角度から沖縄バスケの魅力に迫る。


directions_bikeスポーツcinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
霜降り明星のオールナイトニッポン

霜降り明星が毎週金曜日25時から生放送で送る「霜降り明星のオールナイトニッポン」。今回の放送は、せいやが夏休みのためお休み。粗品だけでの放送となったが、そんな中でリスナーを楽しませるために何か新しい取り組みができないかと模索した結果、粗品2人のしゃべりで2時間の生放送をリスナーに届ける。W粗品が出演するという今までに聴いたこともない、ラジオならではの遊びと魅力が詰まった2時間を届けた。当日、本番前に事前収録した粗品のトークに、粗品がツッコミを入れる形で生放送を実施。生放送であることを伝えるために、X(旧Twitter)のトレンドについてリアルタイムで触れたり、生放送中に届いたリアクションメールを紹介したりと、いまスタジオに粗品がいることを強調しながら放送した。放送中に届くメールなども事前に想定したうえで番組を作り上げていった。前代未聞の1人2役での生放送に「#霜降り明星ANN」はトレンド1位を獲得、粗品への応援メールや感想メールが全国から8000通近く届くなど、大きな反響を生み出した。最後まで仕掛けを明かさなかったこともあり、SNS上ではリスナーの様々な考察が飛び交うなど、放送終了後も大きな話題を呼んだ。


groups芸能・バラエティーadaptive_audio_micトーク・ワイドショーradioラジオ番組
民放ラジオの黎明 ~Count Basie(カウント・ベイシー)が聞こえる

1951年(昭和26)に誕生した日本の民間放送に、非常に多くのアメリカ製のラジオ番組が供給されていたことは、あまり知られていない。誰がどのような理由でそれらの番組を制作し、放送したのか。番組ではさまざまな資料や証言をもとに、その知られざる真相に迫る。◆1945年9月、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による占領政策が始まると、戦後日本の民主化を図る手段として大きな役割を果たしたのが、ラジオだった。GHQの民間情報教育局(CIE)が指導し、戦争指導者を糾弾する番組やクイズ番組などをスタートさせた。やがて、中国や当時のソビエト連邦が中波による日本語放送に力を入れ始めると、アメリカは日本国民の共産化を防ぐためプロパガンダに力を入れるようになった。ところが、本国から発信される日本語放送VOA(アメリカの声)は短波放送だったため、戦時中に短波受信機の所持を禁じられていた日本国民の耳には届かない。そこで、アメリカで制作した番組に日本語の解説をつけ、日本国内の放送局から放送させることにした。CIEの業務を引き継いだアメリカ広報文化交流局(USIS)は、アメリカ大使館別館のスタジオで様々な日本語版のラジオ番組を制作し、民放ラジオ局に提供した。その番組の一つが「ジャズ・クラブ」であり、最初に流れた曲は、カウント・ベイシー楽団の演奏だった。


music_note音楽cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組