テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

videocam
ニュース映画

毎日世界ニュース 431 ペレス・矢尾板をKO 世界フライ級選手権

番組ID
N00877
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年11月11日(水)
時間(秒)
107
カテゴリ
スポーツ
概要
プロボクシング世界フライ級チャンピオン、パスカル・ペレス対矢尾板貞雄のタイトルマッチは、1959年11月5日大阪プールの特設リングで行なわれた。矢尾板は第2ラウンド、左フックをペレスのボディに決めてダウンさせ快調なスタートを切ったが、老練なペレスは第4ラウンドから反撃に転じた。第13ラウンド、55秒で矢尾板をノックアウトで降して、昭和29年(1954年)白井義男を破って以来、記録的な9度目のタイトル防衛に成功した。

同じ年代の公開番組

毎日世界ニュース 423 安保改定を前に 勤評から西尾問題まで

1959年9月8日、日教組(日本教職員組合)は勤評(勤務評定)反対の統一行動を全国に展開。東京では文部大臣に会見を求めたが門を閉ざして面会謝絶。安保条約改定阻止と勤評反対闘争は表裏一体だと気勢を上げたが、教育委員会との団体交渉も物別れとなって、泥沼から一歩もはいあがれない。同じ日、基地砂川町では安保改定阻止の中央大会が開かれ、米軍の駐留は憲法違反であるという東京地裁の判決を支持するデモが、夜の更けるまで続いた。1959年9月9日、ダレス長官の追悼式には吉田茂元首相をはじめ、岸信介総理、マッカーサー米大使ら多数が参列して、安保条約の生みの親ダレス氏を偲んだ。8年前のこの日、サンフランシスコにおいて講和条約および安保条約が調印されたのである。この抱合わせの両条約をめぐって、社会党は講和条約賛成、安保条約反対の立場をとる右派と、両条約に反対する左派が激しく衝突、ついに分裂の憂き目を見るに至った。あれから8年、社会党青年部大会は、議場混乱のうちに西尾末広氏の除名を絶対多数で決議した。こうした中で1959年9月12日、第16回社会党大会を迎えたが、安保闘争に対する西尾氏の言動が党紀に反すると詰め寄る左派と、受けて立つ右派が真向から対立して、冒頭から荒れ模様。大会運営委員会では、決議案をめぐってつかみ合いをする騒ぎ。結果は「西尾氏を統制委員会に付議する決議案」を大会に上程することになった。西尾氏の弁明と、河上丈太郎氏の決議案反対表明に続いて投票に入り、決議案は可決された。こうして社会党は西尾氏の去就をめぐって、統一以来最大の危機を迎えた。


videocamニュース映画
毎日世界ニュース 417 野球日本夏の陣

高校野球の開幕ももうすぐ、憧れの甲子園は準備に大わらわだ。暑さにもめげず、神宮球場では元気一杯のプレイが繰り広げられている。晴れの東京代表の座を獲得した日大二高、各地の代表校もほとんど決まった。大阪球場では年に一度の夢の球宴、プロ野球オールスターゲームの第2戦が華やかに行なわれ、セ・パ両リーグのスタープレーヤーの活躍がファンを喜ばせた。試合は3対3の同点で迎えたセ・リーグの攻撃。注目の長嶋茂雄選手(読売ジャイアンツ)と杉浦忠投手(南海ホークス)の対戦は、長嶋がレフトスタンドにホームランして、4対3とセ・リーグがリード。パ・リーグは5回の裏オールスター男・山内和弘選手(大毎オリオンズ)が秋山登投手(大洋ホエールズ)からヒット、ランナー3塁1塁と激しく攻めたて、代った小山正明投手(大阪タイガース)からも1点を返し反撃したが、結局6対4でセ・リーグが勝ち、1勝1敗で引き分けた。一方、後楽園でも真夏の球宴、第30回都市対抗野球も連日満員の盛況で熱戦が行なわれ、野球王国日本ならではの賑やかな応援合戦で、お国自慢がスタンドを彩っている。1959年8月1日には、皇太子さまも初めてお見えになって、ゲームも一層盛り上がった。決勝戦は松山代表丸善石油と釜石代表富士鉄釜石の対戦となり、松山代表が6対4で初優勝を遂げ、晴れの黒獅子旗を獲得した。こちらは男ばかりの野球じゃないと張り切る女子野球チーム。遙々地方のお祭りに招かれて遠征、町会議員チームの旦那方と対戦した。町のセンセイも意気のいい女性軍にはたじたじ、珍プレー続出、もっぱらレディーサービスだ。女子チームは日頃鍛えた腕を発揮して圧倒的勝利を収めた。気を良くした女子チーム、今度は自衛隊に挑戦。日頃空砲ばかりの演習のせいか、あえなく空振り三振。自衛隊発動の暇も無く、女子軍の速攻に降参した。戦い終ってぐったり疲れて帰るバスの中、野球ならでは夜も明けぬ、野球日本の表情である。


videocamニュース映画
毎日世界ニュース 430 南海初優勝 日本シリーズ

プロ野球日本シリーズ。1959年10月29日、南海3連勝のあと、後楽園球場で迎えた巨人土壇場の第4戦。ストレート勝ちで悲願達成の意気あがる南海3回表の攻撃。ランナー広瀬叔功を1塁に、巨人はエース藤田元司をマウンドに送って必死の防戦。バッター杉山光平の打球は左中間へ、センター加倉井実懸命に前進したが抜かれ、この間に俊足広瀬が1塁から一挙にホームイン、南海が先制の1点をあげた。追い詰められた巨人は6回藤田が強引に盗塁し懸命の攻撃、しかし、4戦連投の杉浦忠投手を崩せず、国松彰もあえなく凡退して得点できず。南海7回の攻撃、ランナー1、2塁で鶴岡一人監督に激励された杉浦がレフト前にクリーンヒツトして1死満塁、続く穴吹義雄はショートゴロ、広岡達朗捕ってバックホーム、藤尾茂捕手が落球の間に岡本伊三美ホームイン。続く森下正夫はライトフライ、国松捕ってバックホーム、しかし高い球で藤尾捕手後逸、3塁から寺田陽介悠々ホームイン。南海は藤田投手を再び打ち込んでダメ押しの2点をあげた。いよいよ最終回、巨人最後の攻撃も杉浦の好投で早くもツーアウト。最後の期待を担ったバッター坂崎一彦もセカンドゴロに倒れて万事休す。3対0で南海優勝。南海は最高殊勲選手に輝いた杉浦の健闘で、待望の優勝を驚異の4連勝で勝ち取った。マウンド上で躍り上がる南海ナイン。念願叶って胴上げされる鶴岡監督を横目に、淋しく帰る巨人の水原円裕監督。こうして南海は4戦全勝の新記録で初の優勝を飾った。


videocamニュース映画