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ニュース映画

毎日世界ニュース 420 深刻化する中小企業スト

番組ID
N00832
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上映日
1959年08月26日(水)
時間(秒)
164
カテゴリ
科学・技術・産業
概要
7ヵ月の長期にわたって揉め続けた東京池袋の文士経営の人世坐が、ついに経営難を理由に解散した。社長の三角寛氏が従業員に解散を通告。放り出された組合員は偽装解散だと激しく詰め寄ったが、話し合う余地も無く完全に物別れ。このところ長期の泥沼闘争におち入った中小企業の争議が増えて、生活資金をアルバイトで食いつなぐ労働組合員の表情も日毎に深刻化。日経連の後押しで強気の経営者は、こうした労働組合員の弱まるのを待っている。団体交渉の道も閉ざされて、籠城生活を続ける労働組合員たち、上部団体の後押しで立ち上がったものの、長い闘争に資金も途絶えがちだ。一日一人5円の副食費では、健康に異常をきたす者も出る有様。それでも解決の糸口の無い深刻な闘争だ。ついに1959年8月19日、江東区田原製作所では会社側が人を動員して、出荷強行の挙に出たため、工場内で頑張る第1組合員に、第2組合員と警官隊が突入して乱闘騒ぎとなり、第1組合員のひとりが心臓のショックで死亡した。中小企業ストがうんだ最初の犠牲者だ。感情的な対立のために再びこの悲劇を繰り返さないよう、労使ともに正しい争議ルートに則った平和的解決に乗り出して欲しいものだ。

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毎日世界ニュース 429 スポーツの秋なれど

野球ファン待望の1959年プロ野球日本選手権シリーズ、南海対巨人の第1戦が10月24日大阪球場で行なわれた。南海は1回裏ランナー2、3塁のチャンス。巨人の投手は義原武敏、杉山光平打ってセカンドゴロ、土屋正孝のバックホームが遅れ、3塁から森下正夫がホームインして先制の1点をあげた。この回南海は野村克也のヒットなどで3点を追加。義原投手に代わって、今シーズン301勝の日本タイ記録をたてた別所毅彦投手が登場したが、寺田陽介がライト前にヒットして、この回一挙5点をあげた。試合は最終回。ランナーを2、3塁において巨人の反撃、南海の投手祓川正敏から土屋が左中間に大2塁打して2者ホームイン。続いて長嶋茂雄もレフトに2塁打してこの回4点を返し、3点差まで追いあげたが、結局10対7で南海が1勝をあげた。一方、26都府県の議員さんの野球大会の接待に、200万円におよぶ血税を使った東京都の税金の行方が問題となっている。東京のある高校では聖火リレーで始まる運動会で、若人の意気を天高く燃やそうという趣向。1959年10月25日、不人気を伝えられた第14回秋の国民体育大会は、小中高校生まで動員して、どうにか国立競技場を埋めて開会式が行なわれた。全国から16000名にのぼる選手が参加して、華やかな入場行進。水害のため愛知、三重、岐阜3県は欠場し役員だけが行進。続いて聖火が入場して大会気分は最高潮。ともかくも開会式だけは盛り立てようと、夕暮れまで数々の祭典の行事が繰り広げられた。翌26日から6日間にわたって競技が行なわれたが、開会式とうって変わりスタンドはがら空き。この立派な競技場に、5年後は東京オリンピック大会を迎えようとしている折りからこの有様では、日本のスポーツ界の先が思いやられる。


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毎日世界ニュース 400 特報 皇太子殿下ご結婚

晴れの日を迎えた1959年4月10日。皇太子さまのお使い山田康彦東宮侍従長のお迎えを受けた正田美智子さんは、家族の人々に別れを告げて、午前6時30分池田山の実家をあとに皇居に向かった。皇太子さまも9時10分東宮仮御所を出発、皇居に向かわれる。皇族、閣僚らこの日の参列者1072名も、威儀を正して賢所内幄舎に集まって行く。やがて、午前10時甘露寺受長掌典長の先導で、回廊に姿をお見せになった黄丹袍の束帯の皇太子さまと、十二単の美智子さんは、しずしずと賢所内陣に進まれ、厳かに「結婚の儀」が始まった。神前に皇太子さまが結婚の誓いを告げられたのち、外陣にさがったお二人は晴れて固めの盃を受けられる。美智子さんはこの時から、皇太子明仁親王妃美智子殿下となられたのである。午後2時、美しいローブ・デコルテの胸に、勲一等宝冠章を輝かせた美智子妃殿下は、皇太子さまとともに仮宮殿西の間で天皇・皇后両陛下に正式の挨拶をされる「朝見の儀」に臨まれる。このあと両殿下は、美しい6頭立て4頭引きの儀装馬車に同乗して皇居を出発、沿道9キロを埋めたおよそ100万の群衆の歓呼と祝福を浴びながら、お二人のスイート・ホーム東宮仮御所に帰られた。美しいロマンスが実を結んだ4月10日。雲一つなく晴れ上がった空の下、お二人の幸福をお祝いする国民の歓呼は、いつまでも沿道にこだましていた。


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毎日世界ニュース 426 救援を待つ災害地

次第に明らかになっていく伊勢湾台風(台風15号)の被害状況。奈良県吉野郡川上村では山津波で54人が生き埋めとなり、救出作業は困難を極め土砂にのまれた人々の生命は、全く絶望視されている。伊勢神宮では樹齢8百年を超す神木が根こそぎに倒されて、復旧作業に初めて神域にクレーン車が入った。あれから一週間、依然泥海に孤立したままの中京地方では、ついに大切な土地家屋を捨てて、被災者たちが危険を冒して続々と舟や車で集団避難を開始。しかし、衰えを見せぬ濁流にもまれて、自衛隊の救出作業もなかなかはかどらず、空からは日米40機のヘリコプターが出動、人々は着のみ着のまま恐怖におののきながら避難所へ運ばれて行く。国道にも延々と避難者の列が続いている。一方、全国からの救援物資もようやく到着、地元高校生の勤労奉仕で災害地へ向けて食糧のピストン輸送が始まったが、救援物資を積んだ車が至る所で立ち往生。やっと届いた物資も、現地ではわずかに握り飯と、キャベツ1個に水1升の配給というわびしさだ。それでも久しぶりにありついた食料で僅かに生気を取り戻したが、ほっとする間も無くまたも無情の雨が降って、決壊した堤防からは再び海水が逆流、豊作の夢は無惨にも湖水に呑まれてしまった。更に、1週間にわたる長い汚水の中の生活に伝染病が至る所で発生。既に名古屋市内の病院は450名の赤痢患者で満員の有様。死者・行方不明合せて5千名を突破。学校の校庭にはまだ引取り手も無い死体が、野ざらしのまま冷たい雨に濡れている。やっと始まった仮堤防工事もはかどらず、水が引くまでには2、3ヵ月もかかりそうな現状だ。1959年10月3日、岸信介首相が名古屋に到着、翌4日には皇太子さまもお見えになって、空から水害地の惨状を視察した。史上空前の惨禍を受けた災害地は、泥海の中で今救援の手を待ちわびているのである。


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