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ニュース映画

毎日世界ニュース 419 北朝鮮帰還協定調印さる

番組ID
N00827
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年08月19日(水)
時間(秒)
83
カテゴリ
国際情勢・海外
概要
在日朝鮮人が待ちわびた、彼らの帰還に関する協定は1959年8月13日カルカッタで調印された。朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)は、まさに手の舞い足の踏む所を知らぬ興奮のルツボ。帰国第1船も11月10日出港と決まって、人々の心はもう故里の土を踏んだように弾んでいる。新潟の集結所には、元アメリカ空軍宿舎があてられて、帰国業務の開始を待つばかり。しかし一方では韓国側の反対も待ち構えている。8月15日、新潟に集まった韓国人は約2千人、出港までにはまだまだ根強い反対が続くことだろう。こうした中で迎えた8月15日の解放記念日。日本では終戦記念日のこの日、帰国者たちにとっては二重の喜びに包まれた祝賀会となって、各地で盛大に行なわれた。

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毎日世界ニュース 412 日本の鼓動 六月二十五日

1959年6月25日、閣僚を入れ替えて守りを固めた岸信介内閣は、最大の関門、安保条約改訂問題を抱えて臨時国会に臨んだ。政府の防衛力強化の方針に、一周年を迎えた自衛隊習志野空挺団では訓練にも一段と気合いが入り、海上自衛隊には日米相互防衛援助協定による、戦後最大の国産駆遂艦「てるづき」も誕生した。同じ日、アメリカへ向かう練習艦隊と入れ代わりに、鹿児島港に日本の最南端与論島から平和行進が到着、原水爆禁止の悲願を込めて広島への歩みが続けられた。韓国(大韓民国)から米軍の撤退を求めて気勢をあげる北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の人々も、帰国を前に喜びの表情が溢れているが、この日は祖国の姿そのままに、南北入り乱れての朝鮮動乱記念日となった。防衛庁前には安保条約改訂反対のデモ隊が押しかけ、日比谷で全国統一行動日の中央大会が開かれた。防衛予算より米価の補償をと農民も立ち上がり、折りから開かれている米価審議会に適正米価を要求して農林省前へ坐り込みの作戦に出た。夜の街では全学連の学生たちがデモをくり返し、またしても警官隊と衝突し、この日のフィナーレは夜の更けるまで続けられた。1959年6月25日は、国の運命を決める多くの問題を抱えて悩む日本の縮図ともいうべき一日であった。


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