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ニュース映画

毎日世界ニュース 419 北朝鮮帰還協定調印さる

番組ID
N00827
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上映日
1959年08月19日(水)
時間(秒)
83
カテゴリ
国際情勢・海外
概要
在日朝鮮人が待ちわびた、彼らの帰還に関する協定は1959年8月13日カルカッタで調印された。朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)は、まさに手の舞い足の踏む所を知らぬ興奮のルツボ。帰国第1船も11月10日出港と決まって、人々の心はもう故里の土を踏んだように弾んでいる。新潟の集結所には、元アメリカ空軍宿舎があてられて、帰国業務の開始を待つばかり。しかし一方では韓国側の反対も待ち構えている。8月15日、新潟に集まった韓国人は約2千人、出港までにはまだまだ根強い反対が続くことだろう。こうした中で迎えた8月15日の解放記念日。日本では終戦記念日のこの日、帰国者たちにとっては二重の喜びに包まれた祝賀会となって、各地で盛大に行なわれた。

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毎日世界ニュース 418 波紋投げた原爆記念日

東京から、新潟から、そして、南の果て与論島から始った1000万人の平和行進は、1959年8月4日、目的地の広島に到着した。3コースの団長たちは真っ黒に日焼けした顔で、感激の握手を交わした。一方、全日本学生自治会総連合の学生たちも続々と到着。安保条約改定反対を掲げて世界大会に参加した。こちらは大会に背を向けた右翼の連中。ニセの平和大会をぶっ潰せと原水爆禁止日本協議会の安井郁理事長にねじ込んだ。また、ソビエト代表にも「帰れ帰れ」と食ってかかる狼藉ぶりで、折角の世界大会も、とんだ邪魔が入った。一方ではイギリスや西ドイツ代表が、核武装反対で西ヨーロッパだけを非難すると、大会に不満を抱いて脱退するなど思わぬシコリを残した。こうした中で迎えた1959年8月6日、新たに187名の死亡者を加えた原爆慰霊碑の前に、2人の遺児が花輪を捧げ、悲しみも新たに3万人の参加者は深く頭を垂れて犠牲者の冥福を祈った。この時、頭上を旋回する飛行機から、またも心ない右翼の宣伝ビラ「ニセの大会にだまされるな」が撒き散らされた。しかし広場にはこの雑音もよそに、深い悲しみと平和への祈りが静かに流れていた。右翼の連中もさすがに気がとがめるのか、警官に後を付けられながら神妙に黙祷を捧げた。こうして色々と波紋を投げた原水爆禁止世界大会も、1959年8月7日、安井理事長が読み上げるヒロシマアピールを最後にその幕を閉じたが、年毎に派手になって来た世界大会の陰には、被爆者の切々たる訴えも聞かれる。そして8月9日、原爆第2号の地長崎でも平和への祈りが捧げられた。これが14年目を迎えた広島と長崎の原爆記念日の表情であった。


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