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ニュース映画

毎日世界ニュース 406 播磨のペイロン競漕

番組ID
N00772
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年05月20日(水)
時間(秒)
87
カテゴリ
地域
概要
相生の山の緑が波静かな瀬戸の海に没する所、ここ播磨造船所では朝から起重機がうなり、6000人の人々が生産にいそしんでいる。今日は事業の発展と労働の安全を祈る年に一度のお祭の日。若い工員たちの手によってお神輿が船に移され、海神の霊を慰める海のお祭が繰り広げられた。しぶきをあげて名物のペイロン(ペーロン)競漕が一斉にスタート。各職場から選ばれた腕に覚えのある若者たちによって争われる、抜きつ抜かれつの勇壮なレースである。ゴールも間近、櫂を持つ手に一段と力が籠る。伝統を受け継いだ働く人々の楽しい一日だった。(週間話題)

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1959年12月10日、品川駅の内外を埋めつくした旗の波に送られて、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への第1次帰還が始まった。父の遺骨を抱いた少女も、息子に背負われた老人も、思い思いの希望を胸に集結地新潟に向かうのだ。予想された韓国側の妨害もなく帰還列車は順調なスタートを切った。しかし翌朝新潟駅構内にさしかかった頃、韓国青年行動隊の妨害で列車が一時立ち往生する騒ぎが一度ならずあった。列車は20分遅れて新潟駅に到着。警官隊護衛の中をバスを連ねて宿舎日赤センターへ向かい、第1次帰還者975名の集結を無事に終った。宿舎の周辺は万一に備えて昼夜をわかたぬ厳重な警戒。その中で帰還者たちは問題の意思確認手続きもなごやかに済ませ、日本の小学生が別れに歌うアリランの調べに、旅情を慰めながら静かに船出を待った。14日いよいよ帰国の日。帰還者たちは新潟港に待つ2隻のソ連船に乗船、葛西嘉資本部長(日本赤十字社副社長)から、李一卿(北朝鮮赤十字社副社長)北朝鮮代表に帰還者名簿が引き渡されて、日本とも間もなくお別れである。長い曲折を経て3年ごしにやっと実を結んだ帰国の夢。苦しかった日本での生活も今日で終る。祖国ではきっと温かい歓迎が待っていることだろう。送る人、送られる人、喜びと別離の涙もこもごも氷雨降る新潟港をあとに、第1次帰還船はクリリオン号を先頭に岸壁を離れて、一路清津(チョンジン)港に向かった。


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