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ニュース映画

毎日世界ニュース 406 播磨のペイロン競漕

番組ID
N00772
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年05月20日(水)
時間(秒)
87
カテゴリ
地域
概要
相生の山の緑が波静かな瀬戸の海に没する所、ここ播磨造船所では朝から起重機がうなり、6000人の人々が生産にいそしんでいる。今日は事業の発展と労働の安全を祈る年に一度のお祭の日。若い工員たちの手によってお神輿が船に移され、海神の霊を慰める海のお祭が繰り広げられた。しぶきをあげて名物のペイロン(ペーロン)競漕が一斉にスタート。各職場から選ばれた腕に覚えのある若者たちによって争われる、抜きつ抜かれつの勇壮なレースである。ゴールも間近、櫂を持つ手に一段と力が籠る。伝統を受け継いだ働く人々の楽しい一日だった。(週間話題)

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野球ファン待望の1959年プロ野球日本選手権シリーズ、南海対巨人の第1戦が10月24日大阪球場で行なわれた。南海は1回裏ランナー2、3塁のチャンス。巨人の投手は義原武敏、杉山光平打ってセカンドゴロ、土屋正孝のバックホームが遅れ、3塁から森下正夫がホームインして先制の1点をあげた。この回南海は野村克也のヒットなどで3点を追加。義原投手に代わって、今シーズン301勝の日本タイ記録をたてた別所毅彦投手が登場したが、寺田陽介がライト前にヒットして、この回一挙5点をあげた。試合は最終回。ランナーを2、3塁において巨人の反撃、南海の投手祓川正敏から土屋が左中間に大2塁打して2者ホームイン。続いて長嶋茂雄もレフトに2塁打してこの回4点を返し、3点差まで追いあげたが、結局10対7で南海が1勝をあげた。一方、26都府県の議員さんの野球大会の接待に、200万円におよぶ血税を使った東京都の税金の行方が問題となっている。東京のある高校では聖火リレーで始まる運動会で、若人の意気を天高く燃やそうという趣向。1959年10月25日、不人気を伝えられた第14回秋の国民体育大会は、小中高校生まで動員して、どうにか国立競技場を埋めて開会式が行なわれた。全国から16000名にのぼる選手が参加して、華やかな入場行進。水害のため愛知、三重、岐阜3県は欠場し役員だけが行進。続いて聖火が入場して大会気分は最高潮。ともかくも開会式だけは盛り立てようと、夕暮れまで数々の祭典の行事が繰り広げられた。翌26日から6日間にわたって競技が行なわれたが、開会式とうって変わりスタンドはがら空き。この立派な競技場に、5年後は東京オリンピック大会を迎えようとしている折りからこの有様では、日本のスポーツ界の先が思いやられる。


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