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ニュース映画

毎日世界ニュース 430 「宗谷」南極へ

番組ID
N00873
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上映日
1959年11月04日(水)
時間(秒)
68
カテゴリ
社会
概要
4たび南極に向かう「宗谷」の甲板には、空輸作戦の花形ヘリコプターや、11頭のカラフト犬が静かに出発を待っている。晴れの出港式に勢揃いした観測隊員、乗組員、合せて130名。立見辰雄観測隊長、明田末一郎船長の新しいコンビが力強い出発の挨拶を述べた。鳥居鉄也越冬隊長をはじめ、1959年の観測隊員は3分の2が初参加の新人、平均年齢31歳という若々しい陣容である。1959年10月31日午前10時50分、「宗谷」は松田竹千代文部大臣らの見送りをうけて東京港日の出桟橋を出発。村山雅美越冬隊長の待つ昭和基地に向かって41000キロの旅に船出した。(週間話題)

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毎日世界ニュース 418 波紋投げた原爆記念日

東京から、新潟から、そして、南の果て与論島から始った1000万人の平和行進は、1959年8月4日、目的地の広島に到着した。3コースの団長たちは真っ黒に日焼けした顔で、感激の握手を交わした。一方、全日本学生自治会総連合の学生たちも続々と到着。安保条約改定反対を掲げて世界大会に参加した。こちらは大会に背を向けた右翼の連中。ニセの平和大会をぶっ潰せと原水爆禁止日本協議会の安井郁理事長にねじ込んだ。また、ソビエト代表にも「帰れ帰れ」と食ってかかる狼藉ぶりで、折角の世界大会も、とんだ邪魔が入った。一方ではイギリスや西ドイツ代表が、核武装反対で西ヨーロッパだけを非難すると、大会に不満を抱いて脱退するなど思わぬシコリを残した。こうした中で迎えた1959年8月6日、新たに187名の死亡者を加えた原爆慰霊碑の前に、2人の遺児が花輪を捧げ、悲しみも新たに3万人の参加者は深く頭を垂れて犠牲者の冥福を祈った。この時、頭上を旋回する飛行機から、またも心ない右翼の宣伝ビラ「ニセの大会にだまされるな」が撒き散らされた。しかし広場にはこの雑音もよそに、深い悲しみと平和への祈りが静かに流れていた。右翼の連中もさすがに気がとがめるのか、警官に後を付けられながら神妙に黙祷を捧げた。こうして色々と波紋を投げた原水爆禁止世界大会も、1959年8月7日、安井理事長が読み上げるヒロシマアピールを最後にその幕を閉じたが、年毎に派手になって来た世界大会の陰には、被爆者の切々たる訴えも聞かれる。そして8月9日、原爆第2号の地長崎でも平和への祈りが捧げられた。これが14年目を迎えた広島と長崎の原爆記念日の表情であった。


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