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ニュース映画

毎日世界ニュース 406 明日への歩み

番組ID
N00773
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年05月20日(水)
時間(秒)
112
カテゴリ
社会
概要
板付のアメリカ軍基地で、孤児たちを招いて行なわれた1日里親デー。招かれた孤児たちも1日だけの里親ではなかなかなつかない。東京のある児童相談所には今日も孤児たちが保護されて来る。両親に捨てられて頼る身も無く、新しい生活に入る幼い兄妹もいる。大阪の施設ではさしのべられた愛の手に、可愛いみなしごたちがすくすくと育っている。岐阜県の整肢学園では色々な器具に助けられてけなげに闘う、力強い明日への歩みが繰り広げられている。また一人、新しい両親に引き取られて巣立っていく友へ、共に闘って来た喜びの手が、いつまでも振られる。

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1959年12月10日、品川駅の内外を埋めつくした旗の波に送られて、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への第1次帰還が始まった。父の遺骨を抱いた少女も、息子に背負われた老人も、思い思いの希望を胸に集結地新潟に向かうのだ。予想された韓国側の妨害もなく帰還列車は順調なスタートを切った。しかし翌朝新潟駅構内にさしかかった頃、韓国青年行動隊の妨害で列車が一時立ち往生する騒ぎが一度ならずあった。列車は20分遅れて新潟駅に到着。警官隊護衛の中をバスを連ねて宿舎日赤センターへ向かい、第1次帰還者975名の集結を無事に終った。宿舎の周辺は万一に備えて昼夜をわかたぬ厳重な警戒。その中で帰還者たちは問題の意思確認手続きもなごやかに済ませ、日本の小学生が別れに歌うアリランの調べに、旅情を慰めながら静かに船出を待った。14日いよいよ帰国の日。帰還者たちは新潟港に待つ2隻のソ連船に乗船、葛西嘉資本部長(日本赤十字社副社長)から、李一卿(北朝鮮赤十字社副社長)北朝鮮代表に帰還者名簿が引き渡されて、日本とも間もなくお別れである。長い曲折を経て3年ごしにやっと実を結んだ帰国の夢。苦しかった日本での生活も今日で終る。祖国ではきっと温かい歓迎が待っていることだろう。送る人、送られる人、喜びと別離の涙もこもごも氷雨降る新潟港をあとに、第1次帰還船はクリリオン号を先頭に岸壁を離れて、一路清津(チョンジン)港に向かった。


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毎日世界ニュース 429 スポーツの秋なれど

野球ファン待望の1959年プロ野球日本選手権シリーズ、南海対巨人の第1戦が10月24日大阪球場で行なわれた。南海は1回裏ランナー2、3塁のチャンス。巨人の投手は義原武敏、杉山光平打ってセカンドゴロ、土屋正孝のバックホームが遅れ、3塁から森下正夫がホームインして先制の1点をあげた。この回南海は野村克也のヒットなどで3点を追加。義原投手に代わって、今シーズン301勝の日本タイ記録をたてた別所毅彦投手が登場したが、寺田陽介がライト前にヒットして、この回一挙5点をあげた。試合は最終回。ランナーを2、3塁において巨人の反撃、南海の投手祓川正敏から土屋が左中間に大2塁打して2者ホームイン。続いて長嶋茂雄もレフトに2塁打してこの回4点を返し、3点差まで追いあげたが、結局10対7で南海が1勝をあげた。一方、26都府県の議員さんの野球大会の接待に、200万円におよぶ血税を使った東京都の税金の行方が問題となっている。東京のある高校では聖火リレーで始まる運動会で、若人の意気を天高く燃やそうという趣向。1959年10月25日、不人気を伝えられた第14回秋の国民体育大会は、小中高校生まで動員して、どうにか国立競技場を埋めて開会式が行なわれた。全国から16000名にのぼる選手が参加して、華やかな入場行進。水害のため愛知、三重、岐阜3県は欠場し役員だけが行進。続いて聖火が入場して大会気分は最高潮。ともかくも開会式だけは盛り立てようと、夕暮れまで数々の祭典の行事が繰り広げられた。翌26日から6日間にわたって競技が行なわれたが、開会式とうって変わりスタンドはがら空き。この立派な競技場に、5年後は東京オリンピック大会を迎えようとしている折りからこの有様では、日本のスポーツ界の先が思いやられる。


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