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ニュース映画

毎日世界ニュース 398 清宮さまご婚約

番組ID
N00737
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年03月25日(水)
時間(秒)
96
カテゴリ
社会
概要
1959年3月19日、清宮さまのご婚約が発表され、「選んだ人を見て下さい」とお決めになられたのは、島津久永さん(25歳)である。久永さんは毎朝世田谷区成城町の自宅から通勤する月給13000円のサラリーマン。日本輸出入銀行本店に、地味で真面目な青年として勤務に励んでいる。また、お喜びの清宮さまは早速ご報告に多摩御陵にご参拝になった。

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7ヵ月の長期にわたって揉め続けた東京池袋の文士経営の人世坐が、ついに経営難を理由に解散した。社長の三角寛氏が従業員に解散を通告。放り出された組合員は偽装解散だと激しく詰め寄ったが、話し合う余地も無く完全に物別れ。このところ長期の泥沼闘争におち入った中小企業の争議が増えて、生活資金をアルバイトで食いつなぐ労働組合員の表情も日毎に深刻化。日経連の後押しで強気の経営者は、こうした労働組合員の弱まるのを待っている。団体交渉の道も閉ざされて、籠城生活を続ける労働組合員たち、上部団体の後押しで立ち上がったものの、長い闘争に資金も途絶えがちだ。一日一人5円の副食費では、健康に異常をきたす者も出る有様。それでも解決の糸口の無い深刻な闘争だ。ついに1959年8月19日、江東区田原製作所では会社側が人を動員して、出荷強行の挙に出たため、工場内で頑張る第1組合員に、第2組合員と警官隊が突入して乱闘騒ぎとなり、第1組合員のひとりが心臓のショックで死亡した。中小企業ストがうんだ最初の犠牲者だ。感情的な対立のために再びこの悲劇を繰り返さないよう、労使ともに正しい争議ルートに則った平和的解決に乗り出して欲しいものだ。


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毎日世界ニュース 386 おめでとう1959年

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毎日世界ニュース 412 日本の鼓動 六月二十五日

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