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ニュース映画

毎日世界ニュース 438 東京ラッシュ・タイム

番組ID
N00903
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上映日
1959年12月29日(火)
時間(秒)
128
カテゴリ
地域
概要
東京の電話台数はついに60万を突破。電話局では機械も人も休みなく動いている。一方、電話局の増設も盛んに行なわれているが需要に追いつくのが大変である。調整所では行き詰まった2ケタの局番を、1960年2月7日から3ケタにするため、機械の調整が急がれている。いよいよ東京は電話ラッシュ時代を迎えることになった。マンモス都市東京の足としてタクシーの利用も増える一方。急ぎの用や荷物を運ぶのになくてはならぬ都民の交通機関になってきた。それとともに多くなった違反を自発的に無くそうと、タクシー指導委員会では各会社の社長さんや幹部が集まって街頭指揮をすることになった。深夜の街で活躍する指導員。東京ラッシュタイムの表情である。

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毎日世界ニュース 418 波紋投げた原爆記念日

東京から、新潟から、そして、南の果て与論島から始った1000万人の平和行進は、1959年8月4日、目的地の広島に到着した。3コースの団長たちは真っ黒に日焼けした顔で、感激の握手を交わした。一方、全日本学生自治会総連合の学生たちも続々と到着。安保条約改定反対を掲げて世界大会に参加した。こちらは大会に背を向けた右翼の連中。ニセの平和大会をぶっ潰せと原水爆禁止日本協議会の安井郁理事長にねじ込んだ。また、ソビエト代表にも「帰れ帰れ」と食ってかかる狼藉ぶりで、折角の世界大会も、とんだ邪魔が入った。一方ではイギリスや西ドイツ代表が、核武装反対で西ヨーロッパだけを非難すると、大会に不満を抱いて脱退するなど思わぬシコリを残した。こうした中で迎えた1959年8月6日、新たに187名の死亡者を加えた原爆慰霊碑の前に、2人の遺児が花輪を捧げ、悲しみも新たに3万人の参加者は深く頭を垂れて犠牲者の冥福を祈った。この時、頭上を旋回する飛行機から、またも心ない右翼の宣伝ビラ「ニセの大会にだまされるな」が撒き散らされた。しかし広場にはこの雑音もよそに、深い悲しみと平和への祈りが静かに流れていた。右翼の連中もさすがに気がとがめるのか、警官に後を付けられながら神妙に黙祷を捧げた。こうして色々と波紋を投げた原水爆禁止世界大会も、1959年8月7日、安井理事長が読み上げるヒロシマアピールを最後にその幕を閉じたが、年毎に派手になって来た世界大会の陰には、被爆者の切々たる訴えも聞かれる。そして8月9日、原爆第2号の地長崎でも平和への祈りが捧げられた。これが14年目を迎えた広島と長崎の原爆記念日の表情であった。


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毎日世界ニュース 401 慶祝協奏曲

1959年4月10日、晴れやかに「結婚の儀」を終えられた皇太子殿下と美智子妃殿下は、6頭立4頭引きの儀装馬車に乗って皇居をご出発。華やかなパレードに移った。沿道の人々の歓呼にこたえながら東宮仮御所にお着きになったお二人は、やっとくつろいだ新婚第一夜をお迎えになった。この日各地ではお二人にあやかって空前の結婚ラッシュ。京都では御所の前で26組が一度にゴールインすれば、東京でも皇太子さまにつづけと3組が仲良く誕生、皇太子殿下万歳を三唱した。記念撮影もあとがつかえている結婚ブーム。東京駅では、新婚列車「ちよだ号」が満員の花嫁花婿を乗せて、ハネムーンの旅にスタートした。夜は東宮仮御所に地元の人々がお祝いの提灯行列。お二人の幸せを祈る提灯の波は夜の更けるまで続いた。群馬県の沼田市では70組の男女が参加して慶祝テニス大会が開かれ、桜咲くテニスコートにロマンスの花を咲かせた。一方、正田家の郷里館林はまるで感激と興奮のルツボ。パレードを繰り出して市始まって以来のお祭り騒ぎに沸き立った。東京でもイルミネーションに輝く花電車が夜の銀座を彩り、国立競技場では6万の人を集めて「お祝いの夕べ」が行なわれ、奉祝気分は最高潮に達した。越えて12日、皇居ではお二人の結婚を祝う内宴が催され、天皇ご一家は美しい振袖姿の美智子妃殿下を囲んで、なごやかなひと時を過ごされた。そして13日から3日間にわたって、ご結婚披露の宮中祝宴が、内外の名士を招待して仮宮殿北の間で華やかに開かれた。


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毎日世界ニュース 437 1959年の表裏

1959年のニュース総集編。日本では皇太子さまの御成婚、清宮さまの御婚約と皇室ブームが起こった。ミス・ユニバースに児島明子さん。東京オリンピックの決定。山中毅、田中聰子の両選手はまたも世界記録を樹立。経済界は岩戸景気、特急「こだま」はスピード世界記録となかなか華やかなニュースがあった反面、不況の石炭界。国鉄志免炭鉱では民間払い下げに対して激しい闘争がおき、三池炭鉱も大量首切りで大きく揺れたまま年を越そうとしている。中小企業のストも目立って増え、労使の激突のすえ田原製作所では犠牲者も出た。災害も多く、中でも台風15号は空前の猛威をふるって東海地方を襲い、多くの被災者を生んだ。天災か人災か、死者行方不明5千名を出した伊勢湾台風は、防災のあり方に大きな疑問を投げかけた。知事選挙・参議院選挙の両選挙に勝った岸内閣、池田勇人を加えて内閣改造をした後に安保改定を打ち出したが、多くの批判を浴びた。これを機会に右翼があちらこちらに顔を出した。こうした中、最高裁は10年間揉め続けた松川事件に裁判やり直しの判断を下した。社会党大会は西尾末広除名をめぐって分裂し西尾新党が誕生した。この間、1機3億円のロッキード、1発140万円のサイドワインダー、にわとり3羽で200億円のベトナム賠償などを多数の力で押し切ってきた与党は、ついに国会デモ乱入事件を招いた。全学連の葉山岳夫・清水丈夫は抵抗のすえ逮捕された。注目された砂川判決は、米軍の駐留は違憲ではないとの結論となった。隣の中国では建国10年の歩みを祝った。また韓国側の反対で揉めた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)帰還も、ついに船出した。しかし韓国からは依然抑留漁師が帰らなかった。国際政治はダレス長官の死で大きく変わった。フルシチョフ首相がアメリカを訪問し、続いてアイゼンハワー大統領が11ヵ国訪問の旅に立ち、西欧の首脳を集めて東西和解の道を求めた。いよいよ1960年の4月フルシチョフ首相を迎えて、東西首脳会談実現の運びとなった。


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