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テレビ番組

NST NEWS タッチSP 最前線の声 未知のウイルスと闘う新潟の医療現場

番組ID
216248
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放送日時
2021年03月13日(土)14:30~15:00
時間(分)
27
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
NST新潟総合テレビ
製作者
NST新潟総合テレビ
制作社
NST新潟総合テレビ
出演者
語り:渡辺謙
スタッフ
制作:若井俊吾、制作:大竹智穂、構成:若井俊吾、撮影:中島茂雄
概要
2020年2月に新潟県内で初めて感染が確認された新型コロナウイルス。その後1年で感染者数は1000人を超えたが、人口10万人あたりの感染者数は全国で5番目に少ない。しかし“医師不足”が現場を圧迫している実態があった。3次救急を担う魚沼基幹病院では救命救急センターで新型コロナウイルス患者を受け入れている。山間部に位置するため、冬の時期はスキー場からの救急搬送もあり、コロナ患者を受け入れながら救急医療にも備えなければいけない。医師不足が大きな課題だった新潟県は医療崩壊の危機に立たされていた。地域の実情や病院の特性を考え、感染者の入院先決定が医療崩壊を防ぐために重要となっている。その調整役を担っているのが新潟大学大学院の高橋昌特任教授。県や病院と連携しながら、地域や病院に偏りが生じないよう調整を続けている。一方で、コロナ患者を受け入れていない病院にも直面している問題があった。入院患者の平均年齢が80歳超の小出病院では、2021年1月に病床の平均稼働率が99.6%にまで上った。入退院の激しさに加え、重症化リスクの高い高齢者の看護。県内でも“院内クラスター”が発生する病院もあり、医療現場は常に緊張感のある中で闘っていた。

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