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テレビ番組

映像’20 支え合い 中国残留邦人と介護施設

番組ID
216008
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放送日時
2020年09月28日(月)01:05~02:05
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
MBS(毎日放送)
製作者
MBS(毎日放送)
制作社
MBS(毎日放送)
出演者
ナレーター:湯浅真由美
スタッフ
撮影:倉本圭太、撮影助手:村井総一郎、編集:田中健、録音:田中徳朗、音響効果:佐藤公彦、タイトル:木下実咲、VTR:佐藤雅哉、宣伝:稲付晴日、ディレクター:和田浩、プロデューサー:奥田雅治
概要
兵庫県尼崎市の高齢者介護施設「三和之家」。2020年1月に開業したこの施設は、田山幸雄さん、華栄さん夫妻が営む。生まれつき障害がある華栄さんは、中国・北京市の障害福祉課で働いていた。1992年に来日し、日中障害者交流の仕事に取り組み、その過程で、中国残留孤児が高齢化し、言葉や文化の壁で日本の介護施設に馴染めないケースを知り、日本に骨を埋めるつもりで、2020年に中国残留孤児たちが通いやすい高齢者施設を開いた。しかし、コロナ禍で利用者は減少し、財政的に厳しい状況に追い込まれるが、それでも施設を開け続け、1食200円と格安で昼食提供し続けた。施設に通う宮島満子さん(84歳)は終戦の6年前、満蒙開拓団として長野県から家族11人で渡ったが、終戦時の過酷な逃避行の中、両親や兄弟姉妹8人を亡くし、中国人夫婦の養子となった。19歳で結婚、4人の子供に恵まれ1985年、50歳で日本に永住帰国を果たす。現在1人で暮らす宮島さんは、「三和之家は過酷な人生を送った私にとって、憧れた祖国で楽しく過ごす、最後の場所」だという。戦後75年の夏、高齢化した中国残留孤児たちとそれを支える人たちの声を聞いた。

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