テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

The Start of Japan ~奈良で見つけたあなたの知らない日本~〔4〕 奈良の伝統工芸

番組ID
213881
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2018年04月22日(日)18:05~18:39
時間(分)
32
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
school
教育・教養
放送局
奈良テレビ放送(TVN)
製作者
奈良テレビ放送(TVN)
制作社
奈良テレビ放送(TVN)
出演者
スタッフ
演出:TAO THANH XUAN、演出:TOSHIHIDE TSUJIMOTO、制作主任:HIROSHI NISHIYAMA、制作主任:TRAN THU HA、制作:TRAN THU HA、制作:NORIHIKO KUGA、ディレクター:TRAN XUAN、ディレクター:HOAI AN、ディレクター:HIROSHI NISHIYAMA、構成:TRAN XUAN、構成:HOAI AN、構成:HIROSHI NISHIYAMA、映像:CAO QUANG TOAN、映像:NGUYEN TIEN VU、制作補:MUTSUMI YOSHIDA、制作補:TATSUZO SUZUKI、技術:DAO VAN NGUYEN、技術:TAKASHI ASAI、技術:MASARU TSUZUKI、翻訳:DAM THU PHUONG、翻訳:NGUYEN THI HANH、翻訳:VU THI HIEN、TK:TRAN XUAN、TK:MINH HIEU、TK:THE ANH、TK:MAI HAI NAM、TK:THU PHUONG、CG:NGO PHUONG DONG、CG:DO NGOC TU、CG:NGUYEN THAI HA、CG:TOMOMI YAMATANI、CG:RYO NAGURA、CG:MOTONO YOSHIKAWA、プロデューサー:NGUYEN NAM
概要
日本とベトナムの繋がりは、奈良から遣唐使として派遣された阿倍仲麻呂がベトナム総督を務めた約1300年前に始まる。歴史的にも繋がりが深い奈良とベトナムのテレビ局(国営のベトナムテレビジョン・VTV)が共同で制作した、奈良を通して日本の魅力を伝えるドキュメンタリー番組。全5回をベトナム語音声と日本語字幕で送る。◆第4回は、奈良に数多くある伝統工芸の中から、筆、墨、和紙を紹介する。それぞれの職人による伝統的な筆、墨、和紙づくりの工程を取材。また、リポーターのニャンさんが奈良の筆、墨、和紙で写経を体験し、文字に隠された日本とベトナムの共通点を発見する。◆奈良テレビ放送開局45周年・日越外交関係樹立45周年記念特別番組

同じ年代の公開番組

IAT岩手スペシャル 未来への架け橋 鐘の音に込めた浄土への想い ~藤原清衡の生涯~

2011年(平成23)6月、平泉は世界遺産リストに記載されることが決定した。平泉は約900年前、平安時代末期に花開いた都市である。京の都から遠く離れた地に奥州藤原氏四代、その栄華はおよそ100年に渡って築き上げられた。平泉創建の父、奥州藤原氏初代・清衡は、京都貴族の末裔でこの地を治めていた役人の父と地方の豪族・安倍氏出身の母との間に生まれる。当時東北地方は「みちのおく」と蔑まれ、中央政権からの搾取にあえいでいた。中央との利権争いや裏切り、欲望渦巻く乱世。清衡は前九年合戦で父を失い、後三年合戦では妻と子を殺され、自らは弟を死に追いやる。家族を失う苦渋を味わいながらも乱世を生き延び、奥州の覇者にのぼりつめた清衡は、戦いのない平和な国を築く決意をする。そしてその決意の基に造営されたのが中尊寺である。金色堂をはじめとする、独創性を極める平泉文化の数々。その輝きには、清衡が誓った平和へのメッセージが込められている。現在も残る戦跡を訪ね、藤原清衡が辿った数奇な運命を辿り、「戦いのない世の中」を願った清衡の思いを描く。◆ほっとネットとうほく


school教育・教養tvテレビ番組
NNNドキュメント’18 薫ちゃんへ。 認知症の妻へ 1975通のラブレター

瀬戸内海と宇和海に囲まれた半島の街、愛媛県伊方町。ここに、14年間認知症と向き合っている一組の夫婦がいる。金森一臣さん(67歳)と妻・薫さん(68歳)である。同級生の二人は中学年のとき、薫さんが一臣さんにラブレターを渡したことから交際をスタートさせ、21歳で結婚、以来46年、二人で歩んできた。二人の子供を育て上げた夫婦に異変が起きたのは薫さんが55歳のときだった。薫さんの物忘れがひどくなり、大学病院で「アルツハイマー型若年性認知症」との診断が下された。ゆっくりと症状は進み、今では過去の記憶を思い出すことはほとんどできない。それでも一臣さんの名前だけは憶えている。施設への入居を考えたこともあるが、現場を見て薫さんを預ける気にはどうしてもなれなかった。一臣さんは症状がさらにひどくなり始めた5年前からノートに二人の日々を綴り始めた。5年間毎日綴られた言葉は、薫さんへの愛に満ちている。食事の準備、身の回りのお世話、その大変な労力の中で、たとえ返事がなくても一臣さんは優しく笑い、語りかけ、一緒に歌を歌う。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.