テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

連続テレビ小説 マッサン総集編 後編 LIFE IS ADVENTURE

番組ID
213352
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年05月06日(水)08:15~09:43
時間(分)
88
ジャンル
recent_actors
ドラマ
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK、NHK大阪
出演者
スタッフ
作:羽原大介、音楽:富貴晴美、主題歌:中島みゆき、ことば指導:原尚子(広島)、ことば指導:浅田直也(東北)、ことば指導:一木美貴子(大阪)、指導:藤間豊宏(所作)、指導:荒谷幸夫(ウイスキー)、指導:広里貴子(料理)、指導:岩見悠紀子(理容)、指導:河合一美(歌唱)、ことば指導:塩屋孔章(英語)、ことば指導:ラッセル・トッテン(英語)、アクション:中村健人、指導:西谷昌也(医事)、時代考証:谷直樹(大阪)、考証:川井ゆう(大阪風俗)、その他:江川悦子(特殊メイク)、考証:土屋守(ウイスキー)、脚本協力:坪田文、脚本協力:坂口理子、資料:松永和浩(洋酒関係)、制作統括:櫻井賢、プロデューサー:山本晃久、美術:西之原豪、技術:江川治朗、音響効果:柳川起彦、編集:藤澤加奈子、撮影:西鍵真治、照明:笠原竜二、音声:深田次郎、映像技術:中元将人、記録:本木裕美、VFX:林伸彦、タイトル:関和亮、演出:野田雄介、演出:梶原登城、演出:渡辺哲也、演出:尾崎裕和、演出:中野亮平、演出:関友太郎
概要
NHK連続テレビ小説第91作「マッサン」(2014年9月29日~2015年3月28日放送)の総集編。ウイスキー造りに情熱を燃やした日本人男性と、愛する人の夢をかなえるために見知らぬ国「日本」でその生涯を過ごしたスコットランド人女性。まだ国際結婚が珍しかった時代に夫婦となった二人の、愛と笑いと涙の冒険物語。作:羽原大介(全2回)◆後編「LIFE IS ADVENTURE」。ついに北海道へと渡ったマッサン(玉山鉄二)とエリー(シャーロット)。1日も早くウィスキーを作りたいマッサンは、大阪の出資者との約束であるジュース作りに精を出していた。一方、マッサンとエリ―から自分が養女であると聞いたエマ(住田萌乃)はショックを受ける。しかし、両親の愛情を知り、エマは世界一の両親だと学校で発表するのだった。その後、マッサンは英一郎(浅香航大)との別れをきっかけにウィスキー作りを再開。そして6年後、遂に念願のウィスキーが完成する。◆解説副音声あり。

同じ年代の公開番組

KNBふるさとスペシャル 沈黙の70年 富山大空襲と孤児たちの戦後

「戦争孤児」。戦争が理由で孤児になった20歳未満の人の総称だ。昭和23年2月、当時の厚生省が実施した「全国孤児一斉調査」。その結果、第二次世界大戦による戦争孤児は12万3千人余り、富山県内にも427人いることがわかった。しかし、その事実が明らかにされたのは30年余り後のことだった。◆昭和20年8月2日未明の富山大空襲。米軍のB29が富山市に落とした焼夷弾は56万発以上。死者は約3千人(推計)。米軍が爆撃目標にした市街地破壊率は99.5%と、空襲に遭った日本の都市の中では最も大きな被害を受け、多くの子どもたちが孤児となった。長野県で暮らしている藻谷研介さんもその1人だ。焼かれた富山市の実家跡地や一晩身を置いた松川を息子らとともに訪ね、記憶を語り継いだ。藻谷さんは戦後、縁戚や姉の嫁ぎ先などを転々とし山口県へ。「振り返れば家族再建の70年だった」と振り返る。◆富山市郊外の児童養護施設「ルンビニ園」。昭和22年、戦争孤児を寺に保護したのがその始まりだ。卒園生の坂口勝久さん(北海道在住)は小田原空襲の戦争孤児。ルンビニ園の理事長・恒田仙英さんに会うため、富山市を訪れた。目的は、同窓会作りだ。同じく孤児で、園時代の旧友・鮫島一さんと共に、県内在住の卒園生を訪ねるが…。◆焼け跡にたたずむ子どもたち。そんな孤児たちに国はどのような救いの手を差し伸べてきたのか。戦後補償に詳しい立教大学の前田一男教授は「敗戦で国家の戦争は終わったが、孤児が生きるための戦いはそこから始まった」と語る。戦争孤児の戦後70年の人生を見つめることで、日本が築き守ってきた「平和」を改めて考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
NNNドキュメント’15 3・11大震災シリーズ59 震災の棘 津波に消えたわが子

宮城県名取市閖上地区で東日本大震災の語り部として活動する丹野祐子さん。丹野さんを突き動かすのはあの日の後悔だ。長男の公太くん(当時13歳)と義理の父母の家族3人を亡くした。地震の後、丹野さんは公太くんと一緒に自宅近くの公民館グラウンドに避難していた。そこに襲った津波。近くにいながら言えなかった「逃げなさい」の一言。あの日の後悔、悲しみは“震災の棘”として、心の奥底に深く突き刺さったままだ。◆震災から3年半、現地再建での復興まちづくりが始まろうとしていた。本来、喜ぶべきはずの復興なのに揺れ動く心。丹野さんは語り部を続けるか迷っていた。まちが生まれ変わることは、公太くんとの思い出が消えることを意味する。息子への思いが変わらずに語り継げるのか…。その答えを探していた時、丹野さんが訪れたのは遠く離れた沖縄の地。70年前の沖縄戦の悲劇を語り継ぐ「元ひめゆり学徒隊」の女性との交流を通して、震災の語り部として生きていく覚悟を決めた。◆2014年12月、かさ上げ工事に伴い、丹野さんの自宅跡が無くなった。次に起こる震災の前に、津波の悲劇を語り続けたい…。丹野さんは震災の風化を防ごうと、公太くんが生きた故郷・閖上地区に戻る決断をした。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.