テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

映像’16 なぜ私は変わったのか 元総理・小泉純一郎と3・11

番組ID
211524
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2016年11月28日(月)00:50~01:50
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
毎日放送(MBS)
製作者
毎日放送(MBS)
制作社
毎日放送(MBS)
出演者
ナレーター:竹房敦司
スタッフ
撮影:古東千由、撮影助手:小宮かづき、編集:天野衛、効果:佐藤公彦、MA:田中徳朗、タイトル:平大介、VTR:北村真智子、宣伝:渡邊優子、ディレクター:津村健夫、プロデューサー:澤田隆三
概要
元首相の小泉純一郎氏(74歳)は、東日本大震災と福島第一原発事故の際に東北沖で救援活動にあたり、帰国後健康被害を訴えている米兵たちを訪ね、その実情に涙し、彼らを支援する基金を日本で創設した。「自民党をぶっ壊す」「人生いろいろ、会社もいろいろ」数々の名言迷言で知られる元首相は、いま何を考えてこの活動に取り組むのだろうか。2016年9月、小泉氏引退後初の単独インタビューを行った。そこで出てきた言葉は「過ちを改むるに憚ることなかれ」というものだった。あの3・11を目の当たりにして、考えが変わったという。「原子力発電は安全だと自分は信じて推進してきた。しかし、それは間違いだった」と言い切る小泉氏。さらに“人生の本舞台は常に将来にあり”という先人の言葉を引いて「人は年を取っても大志を抱いていい。人生なにがあるかわからないからね」と、残った時間を精力的に動くと宣言。約1時間に及んだインタビューを中心に、原発事故をきっかけに変わった小泉氏の真意を探る。

同じ年代の公開番組

ytvドキュメント かあさんと呼びたい ~原爆孤児を支えた心の里親運動~

山ロ勇子は『おこりじぞう』の作者として知られるが、、彼女が中心となって進めた“精神養子運動”について知る人は少ない。親を亡くした“原爆孤児”の実態調査を行い、救いの手を差し伸べたのが精神養子運動だった。1953年にスタートし、孤児たちが18歳になるまで経済的援助と手紙等の精神的援助を行った。85人がこの制度を使い成長した。山岡秀則さん(75歳)は原爆で父や祖父を亡くし、5歳で孤児となった。小学校5年生の時、精神養子運動により母親・稲葉道子さんと出会う。秀則さんにとって、お母さんの支えこそが戦後の苦しみを乗り越える力となった。山田寿美子さん(72歳)は原爆で両親を亡くし、親戚をたらい回しにされ、小学4年生の時、「人生の師であり、母である」と語る山口勇子と出会う。その後、医療ソーシャルワーカーとなり、「原爆被害者相談員の会」の相談員としても活動している。原爆孤児の母・山口勇子は2000年、83歳で亡くなる。彼女の一番の願いだった「核兵器廃絶」を見届けることはできなかった。しかし「再び原爆孤児をつくるまい」という運動は、今も残された孤児たちに引き継がれている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
潜れ~潜れ~ 対馬の海女さん物語

長崎県対馬市。対馬で最高齢の海女・梅野秀子さんは、なんと83歳。自ら船を操縦しアワビやサザエを素潜りでとる。漁業は対馬の基幹産業で、サザエは日本一、アワビは全有数の水揚げを誇る。その一端を担っている秀子さんは、かつて島の殿様から特権を与えられた、島全域の海を知る対馬伝統の海女の一人。若い頃は全国でも名高い裸海女として活躍し、結婚後は海女の稼ぎで家族を養ってきた。◆一人暮らしの今は、地域の人たちと触れ合いながら、冬でも大好きな海に潜る。しかし昔に比べ海の環境は変わり、思うような漁はできない。800年の歴史を受け継ぐ由緒ある海女は、わずか3人になった。島に伝わる珍しい風習や祭りはどんどん失われていく。都会で働く2人の息子はそれぞれ家庭を持ち、滅多に帰ってこられない。◆自然と周りが変わっていく中、秀子さんは潜り続ける。そうしたある日のこと、長男が7年ぶりに島にやってきた。底抜けに明るい海女さんの日常から、島の姿が見えてくる。厳しい自然の中、今も潜り続ける理由とは?。第25回FNSドキュメンタリー大賞。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.