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テレビ番組

機銃掃射に怯えた日々 ~昭和20年 宮崎の空の下で~

番組ID
210632
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放送日時
2015年08月14日(金)09:55~10:50
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
宮崎放送(MRT)
製作者
宮崎放送(MRT)
制作社
宮崎放送(MRT)
出演者
ナレーション:関知子、朗読:実広健司
スタッフ
美術:佐々木田巳子、取材:伊賀透浩、取材:加藤沙知、取材:新屋敷さつき、取材:高橋晋作、取材:田中久泰、取材:中木場章吾、取材:二木真吾、編集:後藤友影、音声:吉崎友祐、MA:上畠基生、構成:紫安伸一、プロデューサー:馬登貴
概要
昭和20年3月18日、沖縄上陸を目指すアメリカ機動部隊は九州東海上に空母群12隻を派遣し、艦載機1400機によって南九州や瀬戸内海周辺の航空基地や鉄道施設を攻撃した。宮崎県に対する空襲は、この日から8月の敗戦直前まで続いた。このうち機銃掃射による被害の実態は、これまで明らかにされてこなかった。戦後70年の節目。体験者や遺族からできるだけ多くの証言を集めて、忘れてはならない戦争の実態を浮き彫りにする。◆3月18日、串間市の百野達夫さんが蒸気機関車を運転中に、米軍機から攻撃され、客車は血の海となった。5月2日、延岡市沖の小さな島・島野浦では、国民学校をB24爆撃機が襲い、生徒4人と住民2人が犠牲となった。7月17日、宮崎市の港町・内海地区が攻撃され、国民学校2年生だった大澤ヒロ子さんは右手を失った。8月6日、軍都・都城市が空襲され、坂口フミ子さんは一緒に逃げた5歳の弟を失った。終戦の5日前には、西小林国民学校の児童8人を含む10人が機銃掃射の犠牲となった。番組では、宮崎県内7か所の被害を14人の証言で綴る。特集・戦後70年。

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