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テレビ番組

テレメンタリー2015 シベリアからの遺言

番組ID
210155
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放送日時
2015年06月28日(日)00:45~01:15
時間(分)
26
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
北海道テレビ放送(HTB)
製作者
北海道テレビ放送(HTB)
制作社
北海道テレビ放送(HTB)
出演者
ナレーション:森さやか
スタッフ
撮影:石田優行、編集:中川大輔、音響効果:百石仁、EED:庄司好孝、MA:沢里憲壮、美術:松田仁、通訳:木村邦生、ディレクター:菊地真章、プロデューサー:濱中貴満
概要
終戦後、旧ソ連は満州や樺太などで投降した日本軍兵士や民間人約57万5千人を、シベリアや中央アジアなどの収容所に送った。過酷な労働、寒さに飢え…。約5万5千人が死亡したとされる。多くの日本軍兵士が1950年代までに帰国を果たした一方で、数十年もの間、現地で生きざるを得なかった民間人がいた。◆阿彦哲郎さんもその一人。樺太に生まれ終戦を迎えた少年時代、無実の罪で捕らえられてシベリアに送られ、そして厳しい抑留生活が始まった。戦後しばらくしてシベリアから帰国する人達は大勢いたが、中には阿彦さんのように日本に身寄りがないため、帰国することができないシベリア残留者が数多くいた。◆彼らの存在は1990年代になってようやく明らかになったが、そのとき既に彼らには外国人妻との間に子が、そして孫がいた。日本語も忘れていた。日本に永住帰国を果たした人。日本に帰国後、再び抑留された異国の地へと戻る人。彼らの運命は戦争に翻弄された。◆遠く離れた国で暮らす日本人の血を引く家族。日本とカザフスタン、2つの国に暮らす元抑留者やその家族の今を追った。彼らに聞いた。もし戦争がなかったら?そしてあなたは今、幸せですか?と。数奇な運命を生き抜いて、年老いた彼らが私達に語る重い言葉とは…。シリーズ戦後70年(6)。

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