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テレビ番組

カムイの海に春が来た 堤真一、北の離島に乾杯

番組ID
210142
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放送日時
2015年05月17日(日)14:30~15:24
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
北海道放送(HBC)
製作者
北海道放送(HBC)
制作社
北海道放送(HBC)、HBCフレックス
出演者
スタッフ
撮影:辻山仁、水中撮影:谷敬志、音声:鈴木一路、音声:谷内翔哉、照明:手塚麻里、照明:星野良晴、CG:鈴木あすか、EED:白木秀和、MA:髙橋伸哉、スタイリスト:西崎由美子、プロデューサー補:田中敦、制作:原田徹、取材:河野啓、構成:河野啓
概要
北海道の離島で生き抜く3人の「海人」。驚きと感動に満ちた暮らしぶりと、荒海から生まれた絶品食材を“旅人”堤真一が見つめ、味わう。時化る日が多く、危険なことから、アイヌの人たちが「カムイ(魔)」が潜むと信じた北海道の日本海。そこは、絶品食材が生み育てられる「食の宝庫」でもある。そんな“カムイの海“の離島で暮らす3人の“海人”の生き様に迫る。◆1人目は、北海道南部の松前町に暮らす80歳の海女。いまも現役、日本最北の海女だ。沖合にある松前小島周辺の海で、半世紀以上にわたりコンブを採り続けている。2人目は、焼尻島でサフォーク種の羊を育てる男性。食通たちが、世界最高級の味と称える羊肉が、なぜ北海道の離島にあるのか。秘密を解く鍵は、島の牧草にあった。3人目は、礼文島の84歳漁師。ニシンの不漁と高齢化で衰退の一途をたどる集落で、「最期までここにいたい」と語る。遅い春を迎えた北海道の3つの離島から、あたたかな感動を伝える。

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