テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

旅する蝶への恋心 海を越え2000km

番組ID
209494
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年01月16日(金)09:55~10:40
時間(分)
38
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
山口朝日放送(YAB)
製作者
山口朝日放送(YAB)
制作社
山口朝日放送(YAB)
出演者
スタッフ
題字:しの武、翻訳:久信信正、MA:西本慎也、音声:白木浩司、タイトル:鳥居雪乃、撮影:樫原憲正、編集:樫原憲正、ディレクター:樫原憲正、プロデューサー:芳沢重雄
概要
アサギマダラという蝶の生態解明に情熱を燃やす男性を取材した「旅する蝶への恋心」の続編番組。海を渡って2千km移動し、台湾まで飛んで行く“旅する蝶”アサギマダラ。「どうやって、なぜ移動するのか?」。この蝶を調査している福村拓己さんは、その姿を追って台湾最南端の地へ…。定年退職後、ひとりで1万5千本もの花を植え、移動調査のため年間7千頭の蝶の羽にマーキングする福村さん。一途な“アサギマダラおじさん”の秘めたる思いに迫る。

同じ年代の公開番組

KNBふるさとスペシャル チャリティ ウーマン

困った人たちを助けたい!真っ直ぐな気持ちでアジアや東北の被災地に出向き、炊き出しを行ったり、衣類や生活用品などを届けたりする活動を続けている女性がいる。富山市の川渕映子さんだ。◆ベトナム戦争時に難民キャンプでボランティア活動を始めた川渕さんは、1996年に友人らと「アジア子どもの夢」というボランティア団体を設立。ベトナムの山あいの村に学校を建設したり、枯葉剤の被害を受けた子どもたちに生活費を送る支援を続けてきた。そして2011年に台風被害にあったフィリピンなど、被災した現地に直接、救援物資を届ける活動を行い、これまでに30回以上、海外の被災地を訪問している。◆国内では、2011年の東日本大震災の発生直後から、50回以上も東北を訪れてきた。被災地支援を目的に「東北エイド」というボランティア団体を富山市に立ち上げ、救援物資を届ける活動を続けている。「長く支援を継続しているからこそ、心を支えることができる」と川渕さんは話す。◆番組では、東北への支援のほか、フィリピンやネパールで支援活動を行う川渕さんに密着する。川渕さんが心がけているのは「被災者の言葉をよく聞くこと」、そして「今できることを精一杯やる」。息の長い支援を続ける川渕さんの活動を紹介し、支援によって笑顔と優しさが東北やアジアの美しい空の下に広がる様子を伝える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
春想 ~託された命の点字~

1968年8月15日、東京・目白にある陸橋「千登世橋」から投身自殺した青年がいた。早稲田大学4年生、沖縄出身で全盲の真喜屋実蔵だった。◆戦後、9歳の時に不発弾の爆発により失明した真喜屋は、盲学校で点字を習得し、多くの文学作品を吸収した。志望する早稲田大学で点字受験が特別に認められ、見事入学を果たすが、点字教科書は皆無であった。彼の勉学を支えた同級生の塩谷治さんは、ボランティアを募って点字教科書の作成に取り組む。しかし、学業の困難を克服することはできなかった。留年し、精神的に追い詰められた真喜屋は、「終戦の日」を選んで自ら命を絶った。◆真喜屋の自殺は、塩谷さんの人生に大きく影響した。塩谷さんは盲学校の教師となり、30年勤め上げた。そして定年退職後、がんで余命を宣告される。塩谷さんが残りの人生でやり残した事…それは、真喜屋から生前に託された詩や短歌を世に送り出すことだった。◆戦後の不条理に朽ちた一人の文学青年の死。番組は、真喜屋実蔵の死が数奇な運命となって今に結実する軌跡を、関係者の証言を通して描いていく。同時に、真喜屋が書き残した詩や短歌の背景に迫る。RBC戦後70年特別番組「戦後70年の地平から」第3部。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
メ~テレドキュメント 奪還 「英雄」の妻 佐々木敦子の70年

2015年5月、愛知県体育館で「ピンボン外交記念モニュメント」の除幕式があった。モニュメントに書かれたピンポン外交の説明文に、荘則棟の名前はない。そのことを知った佐々木敦子さんは怒りを露にした。建国間もない中国に夢と希望をもたらした荘則棟と、妻・敦子さんの半生を追ったドキュメンタリー。◆敦子さんは1944年に当時の満州で生まれた。そして、終戦後も獣医だった父親の研究のために家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住んだ。その後、父親が亡くなり、敦子さんは22歳で初めて日本で暮らすことになる。しかし、敦子さんは祖国での暮らしに馴染めなかった。そんな時に、名古屋で「世界卓球選手権大会」が開かれた。中国選手が参加することがわかり、敦子さんは名古屋へと向かった。選手のいるホテルを訪ね、たまたま応対したのが荘則棟だった。荘はのちにスボーツ大臣にまでなったが、中国の指導者、毛沢東が亡くなり、荘は「四人組の協力者」と見なされて4年間監禁され、その後、地方に追放された。敦子さんは荘の境遇を知り、北京で再会。荘を救おうとし、いつしか結婚を望むようになった。しかし当初、中国政府は2人の結婚を認めなかった。やがて結婚が認められて、2人は北京で20年以上幸せに暮らす。そして、2013年に荘則棟がガンで亡くなった。中国当局はかつての「英雄」の葬儀を禁ずると告げてきた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.