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テレビ番組

チャンネル4 御嶽山噴火 9・27 記録と証言

番組ID
209309
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年12月20日(土)09:30~10:25
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
ondemand_video
報道・時事
放送局
テレビ信州(TSB)
製作者
テレビ信州(TSB)
制作社
テレビ信州(TSB)
出演者
ナレーター:伊東秀一
スタッフ
撮影:望月治隆、撮影:藤塚隆、編集:望月治隆、編集:藤塚隆、音響効果:渡辺一郎、MA:渡辺一郎、タイトル:鈴木聡哉、CG:山下太輔、CG:大塩尚弘、題字:細野静耀、ディレクター:久和健一郎、ディレクター:塚本夏希、プロデューサー:伊東秀一
概要
2014年9月27日。死者58人、行方不明5人と戦後最悪の火山災害となった御嶽山噴火の記録。◆長野・岐阜の両県にまたがる標高3067mの御嶽山は、3千m級の山でありながら、古くから信仰登山の霊峰として、登山ブームの最近は気軽に登ることができる高山として、老若男女を受け入れてきた。◆紅葉シーズンの晴天に恵まれた9月27日の午前11時52分頃。山が突如姿を変えた。当時、御嶽山には1千人近い登山客がいたと言われている。色付いた木々の葉や山登りの思い出を残すために持っていたデジタルカメラやスマートホンは、多くの命を奪った自然の脅威を捉えることになった。◆人口850人ほどの長野県木曽郡王滝村。冬の観光の核となるスキー場は、今期の開業を見合わせた。住民の7割が観光業に携わる中、その影響は計り知れない。◆番組では、登山者の証言や画像、動画を元に、この噴火を検証。さらに活火山の恩恵を受けてきた小さな村の行く末を見つめる。(放送当時は死者57人、不明6人)
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第63回報道番組優秀)
放送ライブラリー以外で視聴可能な施設

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