テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

良寛さんの四季 ~やすらぎと、やさしさと~ 冬編

番組ID
208730
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年01月25日(土)11:05~11:35
時間(分)
26
ジャンル
school
教育・教養
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
NST新潟総合テレビ
製作者
NST新潟総合テレビ
制作社
NST新潟総合テレビ、コム
出演者
ナレーション:飛田厚史、ナレーション:横内美紗、ナレーション:新井翔子
スタッフ
撮影:春川和之、演出:武藤義広、制作統括:古塩充、監修:加藤僖一、題字:加藤僖一
概要
江戸時代の越後の名僧・良寛さんは、禅僧や書家として知られるほか、自然を愛し、心のままに多くの詩や歌を残した。良寛さんの詩歌などの作品を、四つの季節ごとに越後=新潟の「自然美」の映像にのせておくる。NST開局45周年記念特別番組。◆冬編。中国仏教の聖地・峨眉山から流れ着いた一本の橋杭について詠んだ詩を紹介する。遥か峨眉山に思いを馳せた良寛さんの心情は…。また晩年に交流を深めた貞心尼とのやりとりの歌々や、亡くなる前に詠んだ「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」についても触れる。

同じ年代の公開番組

メ~テレドキュメント とむらい ~「英雄」の妻が見た国家~

中国で「民族の英雄」と呼ばれた元卓球チャンピオン・荘則棟。2013年2月、北京。彼の告別式は異様な雰囲気に包まれた。会場は病院の霊安室。周辺を公安警察が取り囲み、メディアの取材や一般の弔問は禁止された。当局はなぜ、荘の弔いを隠そうとしたのか。◆荘には妻がいる。佐々木敦子さん。旧満州生まれの日本人で27年前に荘と国際結婚した。敦子さんは荘が亡くなって数ヶ月、遺骨を手放せずにいた。「困難を共に越えてきたから二人でいたい」そんな気持ちの現われだ。◆1960年代前半、荘則棟は卓球の世界選手権で「男子シングル3連覇」という偉業を達成。建国から間もない中国で、国民に希望と自信を与えた。大会の後、荘は33歳の若さで大臣に抜擢される。ところが毛沢東の死後、権力を握っていた四人組が失脚。荘は四人組の追随者とみなされ、投獄された。◆釈放後、荘は敦子さんと出会って結婚するが、「四人組の追随者」という格印は消えなかった。敦子さんは荘が亡くなって初めて、その意味を知ることになる。敦子さんに訪れた試練、そして荘が残した言葉の意味の中に、現在の中国の「素顔」が垣間見える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
メ~テレドキュメント 祖国への遺言 ~「英雄」荘則棟と中国~

中国で「民族の英雄」と呼ばれた元卓球チャンピオン・荘則棟。2013年2月、北京。彼の告別式は異様な雰囲気に包まれた。会場は病院の霊安室。周辺を公安警察が取り囲み、メディアの取材や一般の弔問は禁止された。当局はなぜ、荘の弔いを隠そうとしたのか。◆荘には妻がいる。佐々木敦子さん。旧満州生まれの日本人で、27年前に荘と国際結婚した。敦子さんは荘が亡くなって数ヶ月、遺骨を手放せずにいた。「困難を共に越えてきたから二人でいたい」そんな気持ちの表われだ。◆1960年代前半、荘則棟は卓球の世界選手権で「男子シングル3連覇」という偉業を達成。建国から間もない中国で、国民に希望と自信を与えた。大会の後、荘は33歳の若さで大臣に抜擢される。ところが毛沢東の死後、権力を握っていた四人組が失脚。荘は四人組の追随者とみなされ、投獄された。◆釈放後、荘は敦子さんと出会って結婚するが、「四人組の追随者」という格印は消えなかった。敦子さんは荘が亡くなって初めて、その意味を知ることになる。敦子さんに訪れた試練、そして荘が残した言葉の意味の中に、現在の中国の「素顔」が垣間見える。◆「メ~テレドキュメント とむらい 英雄の妻が見た国家」の再編集版。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
離島からの挑戦状 ~ないものはない~

日本海の島、島根県隠岐諸島・海士町。本土からはフェリーで3時間半かかる。今はIターンの若者が多く移住している海士町だが、かつては少子高齢化の中で島の産業は衰退し、町の収入も減少の一途をたどっていた。そうした中、海士町を救ったのが、町民全体で共有した「危機感」、そして「ないものはない」という考え方だ。◆「何もない島なら失うものも何もない」海士町がとった戦略は、ノーガードで攻め続けること。町民は福祉や保健に関わる行政サービスを我慢した。その分、島のハンデを克服して本土の産業と戦えるようにと、とれたての魚介類を瞬間冷凍して出荷する設備に5億円を投資した。島の産業を再生させて雇用の場を確保するだけでなく、島の外で商売をして「外貨」を稼ぐことを目指したのだ。◆「儲かるのなら何でもやれ」町長の大号令のもと、知恵とアイデアのある人材は島をあげて応援する。噂を聞いた若者が全国から集まって、島で起業し始めた。若いアイデアと島の産業がコラボレーションし、新しいビジネスが生まれている。さらに産業づくりの次のステップとして、海士町は島の未来を担う人づくりまでも自分たちの手で進めようとしている。◆一方で、日本の離島が抱える課題はなくならない。番組では、海士町だけなく全国の離島地域の取材を通し、島の厳しい現状を描く。海士町の取り組みを通じて全国の離島が進むべき先を模索し、いきいきと島で暮らす人々の姿を通じて、大量消費社会における「幸せ」を考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組