テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

WATCH 真相に迫る 伝承者 ~あの日を知らない語り部たち~

番組ID
208551
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2013年07月28日(日)00:50~01:20
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
広島テレビ放送(HTV)
製作者
広島テレビ放送(HTV)
制作社
広島テレビ放送(HTV)
出演者
ナレーター:馬場のぶえ
スタッフ
撮影:松井和哲、撮影助手:吉本晃子、編集:井手愛子、音声:松田武、デザイン:宇都宮雪代、ディレクター:延広絵美、プロデューサー:佐藤宏
概要
毎月、各地から広島の原爆資料館に通う人々がいる。高齢化が進む被爆者の体験を次世代に語り継ぐ取り組みに参加するためだ。広島市は彼らを「被爆体験伝承者」として、被爆者の代わりに原爆を語ることが出来る人材に育てようとしている。証言活動を続ける被爆者・梶本淑子さんの「伝承者」を目指すのが、奈良県の大田孝由さん。母親が被爆した被爆2世だが、偏見を避け、広島生まれということを隠して生きてきた。広島でも多くの人が、忘れたい、遠ざけたいとしてきた被爆という悲劇。戦後68年経った今、伝えたい、繋ぎたいと願う人々が集まり、新たな継承の形を模索している。「あの日を知らない世代が語り部になれるのか」葛藤の先に見えてきた原爆を語り伝えることの意味とは?

同じ年代の公開番組

どーんと鹿児島 大隅から甲子園へ ~密着!大隅と尚志館ナインのセンバツ~

2013年春の選抜高校野球大会。鹿児島県志布志市の尚志館高校は大隅半島から初めて甲子園出場を決めた。1915年に第一回全国高校野球選手権が始まっておよそ100年。大隅にとって悲願の甲子園だった。さらに野球部員26人全員が大隅出身の子たちであったということも、町を大いに盛り上げた。◆吉報は1月25日大隅半島に届く。そしてこの日を境に、地域は尚志館の甲子園出場ムードに沸く。「尚志館」と「甲子園」という言葉は、町行く人たちの挨拶がわり。国道には「大隅初甲子園出場」ののぼりや横断幕。町の人たちが資金を出し合い、大隅半島を彩った。畜産を中心に農業が盛んな志布志市。学校には連日、豚肉や野菜、米などの食材が届く。農家の人たちが、地元の食材で栄養をつけて欲しいと送ったものだ。◆高校野球を通じて起きる町の変化。甲子園出場が起爆剤となり、町の人たちが笑顔になり、元気になっていく、地域に根付いた大隅っ子野球部員のひたむきな姿を、地域みんなが応援した。九州大会から春の選抜まで、甲子園に沸いた大隅半島と尚志館高校の野球部員に密着する。


cinematic_blurドキュメンタリーdirections_bikeスポーツtvテレビ番組
おだづなよ ~復興への船出~

富山県黒部市にある丸中水産のサンマ船「恵比須丸」。2011年3月11日、東日本大震災。丸中水産の第63恵比須丸は津波にのまれて炎上し、宮城・気仙沼港外に沈没した。3か月後、船を海から引き上げることになり、松野社長が現地に向かった。そこで見た無残な船の姿が、社長を突き動かした。◆「もう一度、海へ、漁へ」お世話になった気仙沼のため、被災した乗組員たちの生活を守るため、日本の漁業再生のため…。ところが、船の再出発までには多くの困難が待ち受けていた。被災者たちは明日の見えない暮らしが続いている。建てたばかりの家を津波で失い、その家の借金を抱えながら、アルバイトで家族を養う機関長。親戚9人を亡くし、自宅も津波で流失した乗組員。それでも、海の男たちは失意の底から再び海に出ることを決め、再起を誓う。◆番組では、あの日を境に生活が一変した恵比須丸の船主や乗組員に密着。1年半が経っても変わらぬ被災地の今と、そこに生きる被災者たち、船で結ばれた強い絆。恵比須丸復活までの様々な人間ドラマとともに、再び海に出ようとする海の男たちの生きざまを描く。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
テレメンタリー2013 “3.11”を忘れない32 3人で生きる ~震災孤児 兄弟が歩んだ732日~

2011年3月11日。東日本大震災の巨大津波は、子どもたちから親を奪い、多くの遺児・孤児を生み出した。両親とも死亡または行方不明となった孤児は、宮城・岩手・福島の被災3県で241人に上る。子どもたちは震災とどう向き合い、どう生きてきたのか。◆宮城県石巻市の武山翔平さん(震災当時19歳)は、津波で両親と祖父を失った。翔平さんには、高校生の妹・優希さんと中学生の弟・直樹君がいる。「普通の暮らしができれば、何も望まない。最低限、弟と妹を育てていきたい。それが親孝行になると思う」。2人の父親代わりになることを決めた翔平さん。優希さんと直樹君は、いったんは石巻市内に住む伯母に引き取られたが、翔平さんは20歳になると、2人の未成年後見人になった。法律上の親になったのだ。◆そして、震災から1年。3人は古里を離れ、仙台市内のアパートで暮らし始めた。翔平さんと同じ大学に進学し、授業とアルバイトに忙しい毎日を送る優希さん。転校し、新しい一歩を踏み出した直樹君は、高校受験が控えている。翔平さんは、就職活動の真っ只中。2人を残して宮城を離れることはできないため、転勤の無い県内企業への就職を目指す。◆家族とは、兄弟とは、生きるということとは…。ある日突然、かけがえのない家族を奪われた子どもたち。親がいない現実と向き合いながら、両親の思い出を胸に、支え合って生きる兄弟の2年間の記録。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
ほっとネットとうほく 海と祭りと俺たちと

東日本大震災から1年9ヶ月。宮城の被災地に二度目の冬がやってきた。大切な人を失い、慣れ親しんだ風景が失われる中、故郷にとどまり、そこで暮らし続ける人々。冬の沿岸地域で“祭り”に携わる人々の群像劇に迫るとともに、失われゆく伝統とそれを守り続けようとする人々の姿を通し、「地域とは」「故郷とは」を問いかける。◆東松島市宮戸月浜で「えんずのわり」を守る小学生たち。「えんずのわり」とは「意地の悪い」を指す方言。かつて半農半漁であったこの地で、農作物を荒らす意地の悪い鳥を追い出す鳥追い行事として、200年以上行われてきた。参加するのは小学生、中学生の男子。6日間、極寒の中で「おこもり」と呼ばれる子どもたちだけの共同生活を送り、しきたりや上下関係、生活の技術を身につけ、自立した社会の一員となる。◆次に、震災で失われた山車の復活にかける石巻市雄勝町名振の「おめつき」を紹介。「おめつき」とは「思いつき」が語源とされ、即興寸劇をやることから名づけられた。時事問題を題材に住民が面白おかしく寸劇を演じ、皆の笑いを取り、山車が町内を練り歩く。この地に残って祭りを敢行する人々、そして離れてしまったけれども祭りの山車を再建するために奮闘する名振出身の大工の冬を追う。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.