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テレビ番組

NNNドキュメント’13 死してなお… 忘れられた兵士の遺骨

番組ID
208504
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放送日時
2013年12月09日(月)00:59~01:29
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
製作者
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
制作社
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
出演者
ナレーション:藤田千代美
スタッフ
撮影:稲津勝、編集:秋山進吾、EED:中澤丈、音響効果:久保秀夫、ディレクター:波止荘子、プロデューサー:堀川雅子、チーフプロデューサー:坂泰知
概要
太平洋戦争の開戦から72年。今も何万という兵士らの遺骨が眠り続けている場所がある。戦時中、全国に次々と建設された「忠霊塔」(納骨堂)だ。そのひとつが大阪市にある「旧真田山陸軍墓地」。この墓地には5千の墓石とともに納骨堂があり、昭和の戦争で亡くなった8千あまりの兵士の骨壷が当時そのままに残されている。納骨堂は当時の陸軍が深く関与して建設されたが、戦後、国がその管理を事実上放棄し、遺骨の存在は忘れ去られていた。真田山では、市民団体による調査でようやくその内容が判明。遺族も知らないまま、兵士らの遺骨が放置されてきた実態が明らかになった。見えてきたのは、シンボリックな建物に遺骨を納めて「忠霊」と崇めることで、兵士らの死を国威発揚に利用した国の姿だ。ひとつの命の扱いが、死してなお、国の都合によって変わる…戦争の実態を兵士の遺骨から見つめ直す。

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