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テレビ番組

SBCスペシャル 復興の片隅で ~石巻・仮設診療所からの問い~

番組ID
208372
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放送日時
2013年05月29日(水)19:00~19:55
時間(分)
45
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
ondemand_video
報道・時事
放送局
信越放送(SBC)
製作者
信越放送(SBC)
制作社
信越放送(SBC)、コンテンツビジョン
出演者
ナレーション:堀内哲也
スタッフ
撮影:丸山清寿、音声:中村豊、編集:和田秀一、EED:和田秀一、MA:塚田敏康、CG:新部雅美、ディレクター:山崎裕一、プロデューサー:堀内宏、プロデューサー:手塚孝典
概要
東日本大震災の発生から2年。死者、行方不明者3500人以上を出した宮城県石巻市。今でも1万6千人が仮設住宅で生活している。その仮設住宅の一角にある石巻市立病院開成仮診療所。長純一医師は2012年5月、診療所の開設に伴い、所長に就任した。長医師は内科や外科、小児科など幅広く診察することができる総合診療医。その経験を被災地で活かしたいと、長野県の病院を辞職して石巻市にやってきた。◆長医師が向き合うのは、精神的に問題を抱える患者たち。震災から2年が経ち、仮設住宅の住環境や将来への不安から、精神的ケアが必要とされる患者は多い。長医師は医療だけではなく、福祉のスタッフと連携し、お年寄りの暮らしを支えるしくみづくりの模索を始めた。◆長医師の原点は長野県南佐久地方にある。長医師は長野県で医療や福祉が連携して、在宅でお年寄りを支えるしくみを作り、今も多くのお年寄りが住み慣れた自宅で最後まで生活している。この「長野モデル」を石巻市でも応用できないかと考え、連携を強くスタッフに訴えた。◆石巻市社会福祉協議会の小松沙織さんも連携を模索する一人。仮設住宅でお年寄りのケアにあたるが、これまで見過ごされてきた問題の多さを痛感してきた。仮設住宅で転倒し、命を落としたお年寄りもいる。小松さん自身も被災者であり、今も心の傷を抱えながらもお年寄りと向き合う。◆番組では、長医師、小松さんの視線を通じて、被災地の課題、国の復興事業のあり方を問う。

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