テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

長崎原爆の日ラジオ特集 長崎、被爆後の歴史をつむぐ

番組ID
R21751
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年08月17日(日)20:05~20:55
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK、NHK長崎
出演者
語り:山口寛明
スタッフ
制作統括:鈴木健一、制作:山口寛明
概要
2013年10月、被爆者の廣瀬方人さん(84歳)を中心に設立された「長崎原爆の戦後史をのこす会」。長崎の被爆者や大学の研究者、平和運動に取り組む人など30~80代の20名で構成されている。原爆が投下された長崎の街と、そこに暮らす人たちがどのように戦後を歩んできたのか証言を集めて記録している。廣瀬さんは、「被爆体験そのものは記録として残されているが、体験した人が背負い続けてきた苦しみというのはほとんど残されていない。原爆を背負い続けている被爆者の苦しみを記録し、伝えていかなければならない」と強く語る。会の目標は被爆70年となる2015年に向け、これまで語られることのなかった被爆後の長崎の歴史を発表することだ。埋もれてきた長崎の戦後史づくりを伝える。

同じ年代の公開番組

関西発ラジオ深夜便 明日へのことば 震災20年を語り継ぐ〔2〕 傷ついた道路遺構とともに 出口正義

「阪神・淡路大震災20年を語り継ぐ」をテーマに全4回シリーズで送る。第2回は「傷ついた道路遺構とともに」。阪神高速道路・震災資料保管庫の説明員・出口正義さん(74歳)の話を聞く。◆1995年1月17日午前5時46分に発生した地震は、京都市でも震度5、大阪市で震度4の揺れを観測した。震災当時、阪神高速道路公団の神戸第一建設部長だった出口さんは、京都の自宅から大阪の本社に駆け付け、急いで同僚らと車に乗り込み、神戸へと向かった。海沿いの5号湾岸線、少し山側を並行して走る3号神戸線。地域の責任者として、西に向かって神戸に急ぐ出口さん達がそこで見たものは何だったのか。多くの犠牲者を出した高速道路の、復旧の責任者として、そして技術者として肝に銘じた事は何だったのか。神戸市東灘区にある「阪神高速・震災資料保管庫」では、被災して壊れた橋脚や橋桁の実物を公開している。退職後、この施設で説明員を務める出口さんに当時の話を聞いた。


adaptive_audio_micトーク・ワイドショーcinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
報道特別番組 内灘闘争 風と砂の記憶

日本海に面した内灘村(現・内灘町)は、村のほとんどを潟と砂丘地が占める人口約6000人の漁村だった。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米軍は日本企業に砲弾を発注し、その性能を検査する試射場が必要となった。内灘村議会、石川県議会をはじめ反対運動が高まったが、内灘村長は補償金などを条件に試射場受け入れを承諾。しかし1953年4月まで4ヶ月の期限付きだった試射場を、政府は永久接収を目論み、継続使用を決定した。対する村民達は永久接収反対実行委員会を結成し、労働組合や学生など全国からの支援を受け入れる。試射が再開されれば永久接収を止められない。6月15日の試射再開前夜、試射場内の権現森の座り込み小屋に向かう一団と警官隊がついに衝突し、反対運動は頂点に達した。翌日試射が再開され、「浜返せ」と叫ぶ“おかか”たちの目前で砲弾が炸裂した。基地はいらないと全国を揺るがした内灘闘争から約60年。内灘村は人口2万7千人のベッドタウンとなった。「風と砂の館」前館長の西尾さんは、「あの頃の人たちは戦争に進むかどうか、ここが分岐点と敏感に感じていた。ボートは後ろを見て漕がないとまっすぐ進まない」と、過去から学ぶことの大切さを訴える。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.