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ラジオ番組

OBSラジオ特集 “逃げ得”なんて許さない!! 国を動かした10年の闘い

番組ID
R21434
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放送日時
2014年05月25日(日)11:00~11:49
時間(分)
49
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
放送局
大分放送(OBS)
製作者
大分放送(OBS)
制作社
大分放送(OBS)
出演者
ナレーション:村津孝仁、朗読:後藤なぎさ
スタッフ
構成:古川能久、ディレクター:古川能久、プロデューサー:砂原哲也、技術:古川能久、編集:古川能久
概要
2003年、仕事で奄美大島に赴任していた佐藤悦子さんの次男、隆陸さん(当時24歳)が19歳の少年の飲酒運転の車にひき逃げされ、一週間後に亡くなった。この時の判決は、悦子さんの想像とかけ離れた業務上過失致死と道路交通法違反による実刑3年。少年が逃げたことによって事故当時の酔い具合が立証できなかったからだ。アルコールの影響で事故を起こした後、それが発覚するのを免れるために逃走すれば刑罰が軽くなるという“逃げ得”の矛盾が存在していたのだ。佐藤さんは飲酒運転の厳罰化を求めて立ち上がった。10年にわたり、国を動かし、法律を変えた懸命な取り組みをインタビューで振り返る。また、新たな法律の内容や、飲酒運転とアルコール依存症の関係性、そして大分県断酒連合会の取り組みなどを多角的に伝えながら、飲酒運転撲滅を訴える。

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日本海に面した内灘村(現・内灘町)は、村のほとんどを潟と砂丘地が占める人口約6000人の漁村だった。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米軍は日本企業に砲弾を発注し、その性能を検査する試射場が必要となった。内灘村議会、石川県議会をはじめ反対運動が高まったが、内灘村長は補償金などを条件に試射場受け入れを承諾。しかし1953年4月まで4ヶ月の期限付きだった試射場を、政府は永久接収を目論み、継続使用を決定した。対する村民達は永久接収反対実行委員会を結成し、労働組合や学生など全国からの支援を受け入れる。試射が再開されれば永久接収を止められない。6月15日の試射再開前夜、試射場内の権現森の座り込み小屋に向かう一団と警官隊がついに衝突し、反対運動は頂点に達した。翌日試射が再開され、「浜返せ」と叫ぶ“おかか”たちの目前で砲弾が炸裂した。基地はいらないと全国を揺るがした内灘闘争から約60年。内灘村は人口2万7千人のベッドタウンとなった。「風と砂の館」前館長の西尾さんは、「あの頃の人たちは戦争に進むかどうか、ここが分岐点と敏感に感じていた。ボートは後ろを見て漕がないとまっすぐ進まない」と、過去から学ぶことの大切さを訴える。


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