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ラジオ番組

IBCラジオ広場 “ラジソン”から生まれた歌「私の手」

番組ID
R02790
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2005年04月16日(土)22:00~22:30
時間(分)
30
ジャンル
music_note
音楽
放送局
IBC岩手放送
製作者
IBC岩手放送
制作社
IBC岩手放送
出演者
スタッフ
制作:藤澤光、演出:関野俊彦、音楽:ササキケンジ、編集:中村好子、構成:関野俊彦
概要
24時間生放送のチャリティ・ラジオ番組に届いた女子高校生のメールが、1曲の歌になるまでをまとめた番組。◆障害者福祉向上を目的とした「IBCラジオ・チャリティ・ミュージックソン」通称“ラジソン”は、毎年12月24~25日に24時間生放送で放送している。2004年の“ラジソン”では、リスナーから届いた一通のメールがもとになって、生放送中に曲が創られた。曲のタイトルは「私の手」。視覚障害者である女子高校生・彩音さんの詞に、シンガーソングライター・ササキケンジ(ササキjinkeケンジ)が曲をつけたのである。◆番組は、曲を創ったときのOA、作詞者、作曲者の思いや感想を交え、曲「私の手」の成り立ちを追っていく。

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60年前の1945年、大阪は空襲により「じゅうたん爆撃」にさらされた。アメリカは「戦略爆撃」という航空攻撃により日本人の戦意を喪失させようとし、大阪は日本攻略向けの兵器「B29」と「焼夷弾」によって火の海となった。◆子供にも兵火は及び、命は無事であったものの身体に大きな後遺症を受け、障害を持った人々がいる。足を失った人は、また足が生えてくると信じていたと語る。彼らの後遺症や障害は、物心がついてからは深刻な苦悩となり、言われのないそしりを受ける原因となった。◆彼らは被害者でありながら、軍人や軍属でないという理由から補償や補助もない。当時子供であった彼らが体験した空襲の怖さ、むごさ、そして後遺症、障害のために戦後も続いた苦悩。戦時中より戦後の方が辛かったようだ。◆2005年8月、空襲死没者の名前を刻んだ「平和を願うモニュメント」が大阪に建設される。この建設には被災女性の執念があった。それぞれの心に刻まれた60年という歳月。戦後60年、日本は平和を維持してきた。しかし、この平和はけっして永遠ではない。◆番組は実際に大阪空襲の被害にあった人々を取材し、空襲の恐怖や戦後の苦しみを生々しい肉声で描き出す。ラジオ大阪戦後60年特別番組。


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