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ラジオ番組

ラジオドキュメンタリー 娘~亜希と歩いた22年

番組ID
R02756
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放送日時
2005年05月30日(月)03:00~03:55
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
放送局
RKB毎日放送
製作者
RKB毎日放送
制作社
RKB毎日放送
出演者
語り:山下奈緒美、語り:川内信江
スタッフ
構成:松石泉、演出:伊集院晃生、制作:永渕秀昭、技術:塩塚実納
概要
脊椎・下肢の変形・発育不全という重度の障害をもって生まれた亜希さん。母・明美さんは、時には厳しく時には暖かく見守り、亜希さんを育ててきた。大学生となった亜希さんの現在までの22年間と、母娘二人三脚の人生をドキュメンタリー形式で描く。◆2005年春、ある日の昼下がり。母と娘は、娘が誕生したときのことを語り合う。そして話題は、幼児期の手術、こども病院での生活、小学校入学と続く。◆22歳の亜希さんは、児童福祉施設でピアノ演奏のボランティア活動をしている。お気に入りの金子みすず作詞の歌を演奏し、詞への思いを話す。亜希さんは音楽療法士になりたいと夢を語る。◆番組は母娘の会話を機軸に、亜紀さんの担当医だった横山医師の言葉を織り込みながら、母親・明美さんの視点で構成する。
受賞歴
日本放送文化大賞(第1回グランプリ候補)

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日本初の私鉄電車と松本重太郎

日本で初めての私鉄・阪堺鉄道。今から120年前の1885年12月27日、大阪の難波と堺の手前の大和川停留場を結ぶ7.6キロで開業した。多くの来観人民で埋まった沿線を、イギリス製の機関車「和歌号」は歓声と緊張の中、走り抜けた。阪堺鉄道を立ち上げたのは、当時大阪の経済界でこの人ありと言われていた松本重太郎である。◆開業時、すでに第百三十銀行頭取であった重太郎は、鉄道の建設予定地に立ち、人が通れば小豆の粒を、人力車が通れば大豆の粒を右懐から左懐に入れ替えて通行量調査(今で言うマーケットリサーチ)を行った。暮れも押し迫った12月27日の開業にも、計算されたメディア戦略があった。120年前の新聞内容を再現すると、開業日には花火が打ち上げられ、祝いの餅がまかれ、大阪中の芸子が勢揃いして招待客を接待した。◆重太郎は、鉄道・紡績・ビール・精糖・銀行と起業し、当時の関西経済界を席巻したが、功績にまつわる資料はほとんど残っていない。晩年、紡績事業のつまづきから銀行の取り付け騒ぎが起きて破産するが、「悉皆出します」と一族の全財産を投げ出して潔く引退した。この潔さを小説にしたのが城山三郎、題名は「気張る男」。◆番組は、開業当時の機関車「和歌号」が120年前を回想する形で進行。阪堺鉄道にまつわるエピソードを、重太郎の功績を中心に紹介する。歴史研究者、出生地での伝聞、ひ孫の松本洋さんの証言、ルポライターの現場リポート、各種資料を紹介するアナウンサーが次々に登場、「和歌号」をサポートする。出演は笑福亭小松。


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