テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

LOVING FOLK 御手洗洋一 歌世界パートⅡ

番組ID
R01009
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
1996年05月31日(金)23:00~23:40
時間(分)
40
ジャンル
music_note
音楽
放送局
北日本放送(KNB)
製作者
北日本放送(KNB)
制作社
北日本放送(KNB)
出演者
スタッフ
制作:向井嘉之、制作:玉木久雄、構成:湊晃
概要
富山の大学生・御手洗洋一さんがアマチュア音楽コンテストの全国大会で優勝した。肩に力を入れず自然体で音楽に取り組む彼の姿を、インタビューや彼自身のコミカルな歌を交えて紹介する。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第44回・最優秀・娯楽番組部門)

同じ年代の公開番組

録音でつづる戦後50年 高度成長と農業(特集)

NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回は特集「高度成長と農業」。農民作家の佐藤藤三郎さんと農業の問題について考える。◆昭和31年から33年の頃の農業は、米も野菜も作れば高く売れた時代で、農家も意欲を持って農業に励んでいた。しかし昭和35年になると、所得倍増計画という政府の政策があり、その農村版ということで農業基本法が成立する。その法律は農民の立場に立ったものであったのかどうか疑問であったと佐藤さんは言う。◆農村から若者が都会へと出て行き、農村の人口はどんどんと減少していった。結局、第二次産業、第三次産業に労働力を回す狙いがあったのではないかと佐藤さんは語る。その後の農業は、規模の拡大ということで機械を導入することになるが、それに見合うだけの収入はなく、借金返済のため出稼ぎ等、農業以外に収入を考えなければならなくなった。◆昭和42年、米は大豊作で農家はボーナス景気であったが、その後も豊作が続き、古米が余る状態となり、政府は生産者米価を据え置くとともに減反や転作を奨励していくこととなった。しかし麦や豆を作っても外国から入ってくる価格には追いつかず、転作は増えなかった。◆米を除けば、穀物類の80%近くは輸入によるものであり、消費者はこの事情をよく考えて欲しいと佐藤さんは話す。番組では草野比佐男さんの詩と朗読が紹介される。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
録音でつづる戦後50年 国民の9割中流意識(1967・1968年)

NHKに保存されている録音で戦後を振り返る『録音でつづる戦後』。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「国民の9割中流意識」。元NHK記者の勝部領樹さんと1967年、1968年を振り返る。◆昭和42年2月の内閣官房室広報部のデータによると、国民の約9割の人は自分の生活は中流だという意識があった。たしかに当時の日本は経済成長の最中であり、昭和40年から45年を平均すると世界も驚く12.4%もの成長率であった。アメリカに次いで世界第2位の経済大国になった日本だが、国民にもその実感があったのではないかという。夫婦共働きで婦人たちが働いて収入を得ることにより、中流の意識に繋がったものと思うと勝部さんは話す。◆しかしその裏側には、四大公害裁判が示すように、経済成長に伴うひずみが生じたことを忘れることはできない。◆学園紛争は激しさを増し、東大では大河内学長が辞任し入試も中止せざるを得ない状況となった。これは既成の権威に対して学生が反発したもので、ベトナム戦争に対する反戦運動や成田空港建設反対闘争にも連動するものだと勝部さんは言う。◆明るい話題としては、川端康成がノーベル文学賞を受賞した。文学賞としては日本では初めて、アジアでも2人目という快挙であった。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
録音でつづる戦後50年 高速時代の幕開け(1964年前半)

NHKに保存されている録音で戦後を振り返る『録音でつづる戦後』。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「高速時代の幕開け」。元新聞記者の金森トシエさんと1964年前半を振り返る。◆昭和39年は東京オリンピックが開催され、日本中がオリンピック景気に沸いた。名神高速道路、東海道新幹線が開通し、羽田の国際空港ではジェット旅客機が離着陸を開始するなど高速時代の幕開けとなった年である。◆オリンピックの影響で特に東京は高速道路、ホテル等のマンモスビルの建設ラッシュであった。立体交差による歩道橋が多くなり、妊婦や障害者、高齢者の方たちを無視した町づくりという印象を持った金森さんは、そうした状況について後日反省としての記事を書いた記憶があると話す。◆この年は新潟を中心とした地震が、北陸・山陰では水害が、逆に東京では水不足という大きな災害が発生した。日本は経済大国になっていくが、災害でも大国であることを忘れてはいけないと金森さんは言う。◆昭和39年は海外渡航が自由化され、貿易の面では輸出が順調といわれながらも、消費者物価は上がり続け、中小企業の倒産が相次ぎ、年末になって不況の風が吹き始めた。華やかなオリンピックの後で、台所を預かる主婦の苦労を改めて感じたと語られる。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.