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ニュース映画

毎日世界ニュース 430 南海初優勝 日本シリーズ

番組ID
N00872
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上映日
1959年11月04日(水)
時間(秒)
138
カテゴリ
スポーツ
概要
プロ野球日本シリーズ。1959年10月29日、南海3連勝のあと、後楽園球場で迎えた巨人土壇場の第4戦。ストレート勝ちで悲願達成の意気あがる南海3回表の攻撃。ランナー広瀬叔功を1塁に、巨人はエース藤田元司をマウンドに送って必死の防戦。バッター杉山光平の打球は左中間へ、センター加倉井実懸命に前進したが抜かれ、この間に俊足広瀬が1塁から一挙にホームイン、南海が先制の1点をあげた。追い詰められた巨人は6回藤田が強引に盗塁し懸命の攻撃、しかし、4戦連投の杉浦忠投手を崩せず、国松彰もあえなく凡退して得点できず。南海7回の攻撃、ランナー1、2塁で鶴岡一人監督に激励された杉浦がレフト前にクリーンヒツトして1死満塁、続く穴吹義雄はショートゴロ、広岡達朗捕ってバックホーム、藤尾茂捕手が落球の間に岡本伊三美ホームイン。続く森下正夫はライトフライ、国松捕ってバックホーム、しかし高い球で藤尾捕手後逸、3塁から寺田陽介悠々ホームイン。南海は藤田投手を再び打ち込んでダメ押しの2点をあげた。いよいよ最終回、巨人最後の攻撃も杉浦の好投で早くもツーアウト。最後の期待を担ったバッター坂崎一彦もセカンドゴロに倒れて万事休す。3対0で南海優勝。南海は最高殊勲選手に輝いた杉浦の健闘で、待望の優勝を驚異の4連勝で勝ち取った。マウンド上で躍り上がる南海ナイン。念願叶って胴上げされる鶴岡監督を横目に、淋しく帰る巨人の水原円裕監督。こうして南海は4戦全勝の新記録で初の優勝を飾った。

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毎日世界ニュース 437 1959年の表裏

1959年のニュース総集編。日本では皇太子さまの御成婚、清宮さまの御婚約と皇室ブームが起こった。ミス・ユニバースに児島明子さん。東京オリンピックの決定。山中毅、田中聰子の両選手はまたも世界記録を樹立。経済界は岩戸景気、特急「こだま」はスピード世界記録となかなか華やかなニュースがあった反面、不況の石炭界。国鉄志免炭鉱では民間払い下げに対して激しい闘争がおき、三池炭鉱も大量首切りで大きく揺れたまま年を越そうとしている。中小企業のストも目立って増え、労使の激突のすえ田原製作所では犠牲者も出た。災害も多く、中でも台風15号は空前の猛威をふるって東海地方を襲い、多くの被災者を生んだ。天災か人災か、死者行方不明5千名を出した伊勢湾台風は、防災のあり方に大きな疑問を投げかけた。知事選挙・参議院選挙の両選挙に勝った岸内閣、池田勇人を加えて内閣改造をした後に安保改定を打ち出したが、多くの批判を浴びた。これを機会に右翼があちらこちらに顔を出した。こうした中、最高裁は10年間揉め続けた松川事件に裁判やり直しの判断を下した。社会党大会は西尾末広除名をめぐって分裂し西尾新党が誕生した。この間、1機3億円のロッキード、1発140万円のサイドワインダー、にわとり3羽で200億円のベトナム賠償などを多数の力で押し切ってきた与党は、ついに国会デモ乱入事件を招いた。全学連の葉山岳夫・清水丈夫は抵抗のすえ逮捕された。注目された砂川判決は、米軍の駐留は違憲ではないとの結論となった。隣の中国では建国10年の歩みを祝った。また韓国側の反対で揉めた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)帰還も、ついに船出した。しかし韓国からは依然抑留漁師が帰らなかった。国際政治はダレス長官の死で大きく変わった。フルシチョフ首相がアメリカを訪問し、続いてアイゼンハワー大統領が11ヵ国訪問の旅に立ち、西欧の首脳を集めて東西和解の道を求めた。いよいよ1960年の4月フルシチョフ首相を迎えて、東西首脳会談実現の運びとなった。


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毎日世界ニュース 423 安保改定を前に 勤評から西尾問題まで

1959年9月8日、日教組(日本教職員組合)は勤評(勤務評定)反対の統一行動を全国に展開。東京では文部大臣に会見を求めたが門を閉ざして面会謝絶。安保条約改定阻止と勤評反対闘争は表裏一体だと気勢を上げたが、教育委員会との団体交渉も物別れとなって、泥沼から一歩もはいあがれない。同じ日、基地砂川町では安保改定阻止の中央大会が開かれ、米軍の駐留は憲法違反であるという東京地裁の判決を支持するデモが、夜の更けるまで続いた。1959年9月9日、ダレス長官の追悼式には吉田茂元首相をはじめ、岸信介総理、マッカーサー米大使ら多数が参列して、安保条約の生みの親ダレス氏を偲んだ。8年前のこの日、サンフランシスコにおいて講和条約および安保条約が調印されたのである。この抱合わせの両条約をめぐって、社会党は講和条約賛成、安保条約反対の立場をとる右派と、両条約に反対する左派が激しく衝突、ついに分裂の憂き目を見るに至った。あれから8年、社会党青年部大会は、議場混乱のうちに西尾末広氏の除名を絶対多数で決議した。こうした中で1959年9月12日、第16回社会党大会を迎えたが、安保闘争に対する西尾氏の言動が党紀に反すると詰め寄る左派と、受けて立つ右派が真向から対立して、冒頭から荒れ模様。大会運営委員会では、決議案をめぐってつかみ合いをする騒ぎ。結果は「西尾氏を統制委員会に付議する決議案」を大会に上程することになった。西尾氏の弁明と、河上丈太郎氏の決議案反対表明に続いて投票に入り、決議案は可決された。こうして社会党は西尾氏の去就をめぐって、統一以来最大の危機を迎えた。


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毎日世界ニュース 403 二大政党下新知事きまる

2大政党下、初の統一知事選挙は、各地で華々しい選挙戦を展開、特に北海道、東京、大阪、福岡では自民、社会両党が対立候補を押し立てて対決、乱戦模様となった。違反と知りながらパレードをするのも追い込みなればこそ。1959年4月23日は投票日。函館ではトラピストの修道士達も清き一票を投じた。激しかった選挙戦を反映して全国的に出足は上々、前回の選挙を上回る79パーセントの投票率を示し、今後4年間の地方政治に国民の審判は下された。社会党の地盤と見られていた北海道で、自民党の町村金五氏が勝ち名乗りを上げれば、福岡では汚職追放をかかげて社会党の鵜崎多一氏が、自民党の土屋香鹿前知事を押さえて当選、早速県庁職員を前に第一声を上げた。最大の激戦地大阪では、左藤義詮氏が接戦の末、見事金的を射止めた。地方選挙の天王山東京では、自民党の推す東竜太郎氏がゴールイン、政府与党を喜ばせた。意外の不振に社会党本部は気勢が上がらない。特に東京での有田八郎氏の落選は大きな痛手だった。問題の多い都政を預かることになった東新知事の初登庁。清く明るい地方政治の確立のために、私達の選んだ人のお手並みを見守りたいものだ。


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