テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

videocam
ニュース映画

毎日世界ニュース 417 原爆記念日を前に

番組ID
N00816
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年08月05日(水)
時間(秒)
62
カテゴリ
社会
概要
1959年8月2日、アメリカのノーベル賞化学者ポーリング博士が、広島の原水爆世界大会に出席するため、湯川秀樹博士と共に羽田に到着した。また、去年エニウェトク海域に乗り込んで、放射能に身をさらして実験反対を訴えた、20歳のレイノルズ君もアメリカ代表として来日、大会地広島に向かった。同じ日、神戸港からはお母さんをはじめ4人の肉親を失った原爆孤児の青年が、原爆のしみを逃れて移民船でブラジルに向かった。ブラジルに渡ったら広島の悲劇を訴え、いつかはブラジル代表として広島の世界大会に出席したいと語っていた。(週間話題)

同じ年代の公開番組

毎日世界ニュース 426 救援を待つ災害地

次第に明らかになっていく伊勢湾台風(台風15号)の被害状況。奈良県吉野郡川上村では山津波で54人が生き埋めとなり、救出作業は困難を極め土砂にのまれた人々の生命は、全く絶望視されている。伊勢神宮では樹齢8百年を超す神木が根こそぎに倒されて、復旧作業に初めて神域にクレーン車が入った。あれから一週間、依然泥海に孤立したままの中京地方では、ついに大切な土地家屋を捨てて、被災者たちが危険を冒して続々と舟や車で集団避難を開始。しかし、衰えを見せぬ濁流にもまれて、自衛隊の救出作業もなかなかはかどらず、空からは日米40機のヘリコプターが出動、人々は着のみ着のまま恐怖におののきながら避難所へ運ばれて行く。国道にも延々と避難者の列が続いている。一方、全国からの救援物資もようやく到着、地元高校生の勤労奉仕で災害地へ向けて食糧のピストン輸送が始まったが、救援物資を積んだ車が至る所で立ち往生。やっと届いた物資も、現地ではわずかに握り飯と、キャベツ1個に水1升の配給というわびしさだ。それでも久しぶりにありついた食料で僅かに生気を取り戻したが、ほっとする間も無くまたも無情の雨が降って、決壊した堤防からは再び海水が逆流、豊作の夢は無惨にも湖水に呑まれてしまった。更に、1週間にわたる長い汚水の中の生活に伝染病が至る所で発生。既に名古屋市内の病院は450名の赤痢患者で満員の有様。死者・行方不明合せて5千名を突破。学校の校庭にはまだ引取り手も無い死体が、野ざらしのまま冷たい雨に濡れている。やっと始まった仮堤防工事もはかどらず、水が引くまでには2、3ヵ月もかかりそうな現状だ。1959年10月3日、岸信介首相が名古屋に到着、翌4日には皇太子さまもお見えになって、空から水害地の惨状を視察した。史上空前の惨禍を受けた災害地は、泥海の中で今救援の手を待ちわびているのである。


videocamニュース映画
毎日世界ニュース 402 発明時代

4月8日は発明の日。1959年も全国から81件、100人の人々が表彰された。盛んな発明熱を反映して、特許庁に持ち込まれる出願件数だけは世界一流だが、審査員が実際に試験してみなければ納得出来ないものも多いようだ。新発明の電話自動受信器は、外出中でも電話が先方の要件を録音して置いてくれる装置である。発明者の橋本さんは、量産を目指して研究を続けている。星野博士が発明した話題のシンクロリーダー。この成功によって、音の出る新聞が出現した。革命的な発明として既に大量生産が開始された。街の発明家のために作られた発明学校では、ブームに乗り遅れまいとサラリーマンや街のオバサンたちが、大発明が出なくともチョットしたアイデアを生かそうと、身近な日用品の改良を目指して熱心に勉強している。舞台の合間に、楽屋でお弟子さんを使って新作の機械の試運転をする柳家金語楼師匠も、街の発明家の一人である。そば屋の当麻さんは、商売よりも好きと今日も部屋に閉じ込もって発明工夫に熱中している。作品はすべて実用化するのがモットーで、お手製の運搬器にお手製のそばをを積んで、颯爽と街をゆく新時代のそば屋さんだ。


videocamニュース映画