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ニュース映画

毎日世界ニュース 416 安保条約改定のかげに 右翼と原水協

番組ID
N00814
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上映日
1959年07月29日(水)
時間(秒)
196
カテゴリ
社会
概要
社会党や日本労働組合総評議会を先頭に、安保条約改定阻止の波は第4次統一行動デーを迎えて一段と高まって来た。こうした時勢に安閑として居れなくなったのは右翼の人たちである。3千人の同志に呼びかけて、1959年7月25日改定賛成の大同団結を行なった。その後、あたりを睨みながら右翼連合軍のデモ行進。勢いに乗ってとうとう総評会館に乗り込んで、幹部に凄味を効かせるという一幕を演じた。一方、安保条約改定に反対する原水爆禁止運動には協力しないと自民党は原水爆禁止日本協議会を攻撃。これに対して原水協の安井郁理事長は、7月27日川島正次郎幹事長を訪ね「この運動に政治的圧迫をかけないように」と申し入れたが結局もの別れ。その傍では、右翼が目を光らせていた。地元広島県をはじめ、各県からも援助金を断わられて曲がり角に来た原水協。それでも平和行進は次第に人かずを増して一歩一歩広島に近づいて来た。南から来た平和行進も、関門海峡を渡ってお隣りの山口県へ。こうしていよいよ14回目の原爆記念日が近づいた。

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毎日世界ニュース 436 さよなら日本

1959年12月10日、品川駅の内外を埋めつくした旗の波に送られて、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への第1次帰還が始まった。父の遺骨を抱いた少女も、息子に背負われた老人も、思い思いの希望を胸に集結地新潟に向かうのだ。予想された韓国側の妨害もなく帰還列車は順調なスタートを切った。しかし翌朝新潟駅構内にさしかかった頃、韓国青年行動隊の妨害で列車が一時立ち往生する騒ぎが一度ならずあった。列車は20分遅れて新潟駅に到着。警官隊護衛の中をバスを連ねて宿舎日赤センターへ向かい、第1次帰還者975名の集結を無事に終った。宿舎の周辺は万一に備えて昼夜をわかたぬ厳重な警戒。その中で帰還者たちは問題の意思確認手続きもなごやかに済ませ、日本の小学生が別れに歌うアリランの調べに、旅情を慰めながら静かに船出を待った。14日いよいよ帰国の日。帰還者たちは新潟港に待つ2隻のソ連船に乗船、葛西嘉資本部長(日本赤十字社副社長)から、李一卿(北朝鮮赤十字社副社長)北朝鮮代表に帰還者名簿が引き渡されて、日本とも間もなくお別れである。長い曲折を経て3年ごしにやっと実を結んだ帰国の夢。苦しかった日本での生活も今日で終る。祖国ではきっと温かい歓迎が待っていることだろう。送る人、送られる人、喜びと別離の涙もこもごも氷雨降る新潟港をあとに、第1次帰還船はクリリオン号を先頭に岸壁を離れて、一路清津(チョンジン)港に向かった。


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