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ニュース映画

毎日世界ニュース 415 ひらけゆく南紀州

番組ID
N00809
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年07月22日(水)
時間(秒)
125
カテゴリ
地域
概要
1959年7月15日、熊野灘に洗われる紀伊半島を東西に結ぶ、三木里─新鹿間が開通。喜びに沸く地元の人々に迎えられて、東京からの祝賀列車「那智」号が熊野市駅に滑り込んだ。大正9年(1920年)の着工以来39年ぶりに完成した紀勢本線の全通式には、十河信二国鉄総裁も出席。美しい娘さんから花束を贈られたり、お国自慢のカイ踊りなど盛大な催しに我が意を得たりと満足の様子だった。しかしこうした文明開化の陰に、バトンを汽車に渡して去って行くバスの姿も印象的である。一方では、沿線に「温泉つき土地売ります」の立札が目に付き、温泉客や観光客の誘致にボーリングやケーブル工事があちこちに見られるのも、開け行く土地らしい風景だ。とりわけ嬉しそうなのは、今日から汽車が走る二木島、賀田のお年寄りたち。昨日までは隣の町へも一日がかりで行った陸の孤島だったが、ようやく父祖三代の念願がかなっのだ。熊野路はいま新しい時代の夜明けである。

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毎日世界ニュース 434 国会デモ乱入事件

ベトナム賠償をめぐって社会党が激しく政府を追求する1959年11月25日の衆議院外務委員会。自民党が質疑打ち切りを強行したため委員会は混乱、社会党の委員は一斉に退場してしまった。夜も白々と明ける頃、社会党欠席のまま採決に入り、問題のベトナム賠償は本会議に送られ27日早朝ついに衆議院を通過した。その日の午後の国会前は、安保改定阻止を叫んで日本労働組合総評議会(総評)、全日本学生自治会総連合(全学連)のデモ隊2万7千人が押しかけ、人と旗の波で埋まった。右翼も飛び出して、第8次統一行動日は初めから荒れ模様。請願デモの波は続々と正門に殺到、警官隊と揉み合いが続き、双方の負傷者は300人以上に達した。やがて陳情団の代表が国会議員の先導で中に入った。ところがその後から全学連を先頭に、デモ隊がなだれを打って国会構内に乱入、ジグザグデモを繰り返した。浅沼稲次郎書記長の説得も若い学生たちの耳に入らない。こうしてデモ隊が1時間あまりも国会を占拠するという国会史上空前の不祥事となった。この事件の先頭に立って独走した全学連は、検束者を返せと警視庁に押しかけたが、またも検束者を出す結果となった。全学連本部は書類を焼き捨て、東大自治会も門を閉ざし、バリケードを築き、手入れに備えて泊り込みの非常体制だ。波乱の一夜が明けた国会、二度と汚したくない民主主義の殿堂である。


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毎日世界ニュース 400 特報 皇太子殿下ご結婚

晴れの日を迎えた1959年4月10日。皇太子さまのお使い山田康彦東宮侍従長のお迎えを受けた正田美智子さんは、家族の人々に別れを告げて、午前6時30分池田山の実家をあとに皇居に向かった。皇太子さまも9時10分東宮仮御所を出発、皇居に向かわれる。皇族、閣僚らこの日の参列者1072名も、威儀を正して賢所内幄舎に集まって行く。やがて、午前10時甘露寺受長掌典長の先導で、回廊に姿をお見せになった黄丹袍の束帯の皇太子さまと、十二単の美智子さんは、しずしずと賢所内陣に進まれ、厳かに「結婚の儀」が始まった。神前に皇太子さまが結婚の誓いを告げられたのち、外陣にさがったお二人は晴れて固めの盃を受けられる。美智子さんはこの時から、皇太子明仁親王妃美智子殿下となられたのである。午後2時、美しいローブ・デコルテの胸に、勲一等宝冠章を輝かせた美智子妃殿下は、皇太子さまとともに仮宮殿西の間で天皇・皇后両陛下に正式の挨拶をされる「朝見の儀」に臨まれる。このあと両殿下は、美しい6頭立て4頭引きの儀装馬車に同乗して皇居を出発、沿道9キロを埋めたおよそ100万の群衆の歓呼と祝福を浴びながら、お二人のスイート・ホーム東宮仮御所に帰られた。美しいロマンスが実を結んだ4月10日。雲一つなく晴れ上がった空の下、お二人の幸福をお祝いする国民の歓呼は、いつまでも沿道にこだましていた。


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