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ニュース映画

毎日世界ニュース 411 夜の早慶戦 サッカー

番組ID
N00792
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上映日
1959年06月24日(水)
時間(秒)
95
カテゴリ
スポーツ
概要
第10回早慶サッカー定期戦ナイターは、1959年6月19日国立競技場で、皇太子ご夫妻をお迎えして行なわれた。キックアンドラッシュの慶応とボルト戦法の早稲田が元気一杯に攻防戦を展開、38分早稲田のフリーキックで宮本が先制の1点をあげ前半を終了。後半に入り、慶応激しく早稲田ゴールに攻め込み、森のシュート見事にきまって同点、そのあと両校得点なく1対1の引き分けに終った。

同じ年代の公開番組

毎日世界ニュース 437 1959年の表裏

1959年のニュース総集編。日本では皇太子さまの御成婚、清宮さまの御婚約と皇室ブームが起こった。ミス・ユニバースに児島明子さん。東京オリンピックの決定。山中毅、田中聰子の両選手はまたも世界記録を樹立。経済界は岩戸景気、特急「こだま」はスピード世界記録となかなか華やかなニュースがあった反面、不況の石炭界。国鉄志免炭鉱では民間払い下げに対して激しい闘争がおき、三池炭鉱も大量首切りで大きく揺れたまま年を越そうとしている。中小企業のストも目立って増え、労使の激突のすえ田原製作所では犠牲者も出た。災害も多く、中でも台風15号は空前の猛威をふるって東海地方を襲い、多くの被災者を生んだ。天災か人災か、死者行方不明5千名を出した伊勢湾台風は、防災のあり方に大きな疑問を投げかけた。知事選挙・参議院選挙の両選挙に勝った岸内閣、池田勇人を加えて内閣改造をした後に安保改定を打ち出したが、多くの批判を浴びた。これを機会に右翼があちらこちらに顔を出した。こうした中、最高裁は10年間揉め続けた松川事件に裁判やり直しの判断を下した。社会党大会は西尾末広除名をめぐって分裂し西尾新党が誕生した。この間、1機3億円のロッキード、1発140万円のサイドワインダー、にわとり3羽で200億円のベトナム賠償などを多数の力で押し切ってきた与党は、ついに国会デモ乱入事件を招いた。全学連の葉山岳夫・清水丈夫は抵抗のすえ逮捕された。注目された砂川判決は、米軍の駐留は違憲ではないとの結論となった。隣の中国では建国10年の歩みを祝った。また韓国側の反対で揉めた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)帰還も、ついに船出した。しかし韓国からは依然抑留漁師が帰らなかった。国際政治はダレス長官の死で大きく変わった。フルシチョフ首相がアメリカを訪問し、続いてアイゼンハワー大統領が11ヵ国訪問の旅に立ち、西欧の首脳を集めて東西和解の道を求めた。いよいよ1960年の4月フルシチョフ首相を迎えて、東西首脳会談実現の運びとなった。


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毎日世界ニュース 418 松川事件裁判やり直し

昭和24年(1949年)8月17日午前3時9分、東北線上り旅客列車が突然脱線転覆。乗務員3名を死亡させた松川事件も、あれから丁度10年。1959年8月10日は最高裁の判決の日。無罪要求の行進が被告たちを先頭に続々と東京に入って来る。この日最高裁は異例の警戒ぶり、乗り込んで来た右翼が押し返され、一方では労働組合員たちも警官に阻止されて近づけず、遠くで公正裁判を要求。こうした騒ぎをよそに午前9時過ぎ、南門から傍聴人が静かに入廷。そのあと被告が続いて入る。やがて田中耕太郎最高裁長官も出廷して、午前10時3分、松川事件上告審の判決が下された。「原判決を破棄し、本件を仙台高裁に差し戻す」。裁判はまったくのやり直し。長い間ペンで共に闘ってきた作家広津和郎氏の感慨はひとしお。2審で死刑だった被告は「無罪でないのが残念だ」ともらせば、田中長官は「良心に従う裁判とは、どちらにも気兼ねなしにすることだ」と語る。しかし、さすがに10年ぶりに取り戻した被告たちの喜びは大きく、「松川公判を聞く会」に集まった数千人の労働組合員から、家族と共に祝福を受ける。無罪への明るい見通しに、歓呼の声は夜の街にいつまでもこだました。


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毎日世界ニュース 420 深刻化する中小企業スト

7ヵ月の長期にわたって揉め続けた東京池袋の文士経営の人世坐が、ついに経営難を理由に解散した。社長の三角寛氏が従業員に解散を通告。放り出された組合員は偽装解散だと激しく詰め寄ったが、話し合う余地も無く完全に物別れ。このところ長期の泥沼闘争におち入った中小企業の争議が増えて、生活資金をアルバイトで食いつなぐ労働組合員の表情も日毎に深刻化。日経連の後押しで強気の経営者は、こうした労働組合員の弱まるのを待っている。団体交渉の道も閉ざされて、籠城生活を続ける労働組合員たち、上部団体の後押しで立ち上がったものの、長い闘争に資金も途絶えがちだ。一日一人5円の副食費では、健康に異常をきたす者も出る有様。それでも解決の糸口の無い深刻な闘争だ。ついに1959年8月19日、江東区田原製作所では会社側が人を動員して、出荷強行の挙に出たため、工場内で頑張る第1組合員に、第2組合員と警官隊が突入して乱闘騒ぎとなり、第1組合員のひとりが心臓のショックで死亡した。中小企業ストがうんだ最初の犠牲者だ。感情的な対立のために再びこの悲劇を繰り返さないよう、労使ともに正しい争議ルートに則った平和的解決に乗り出して欲しいものだ。


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