テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

videocam
ニュース映画

毎日世界ニュース 406 輝くゴールデン・ゴング賞

番組ID
N00771
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年05月20日(水)
時間(秒)
33
カテゴリ
文化・芸術
概要
このほどマラヤ(現マレーシア)で開かれたアジア映画祭から、永田雅一連盟会長はじめ松山英夫大映常務、浦路洋子さんら日本代表団が、ゴールデン・ゴング賞を手に羽田に帰って来た。この映画祭で日本は、大映作品「氷壁」(増村保造監督)の監督賞など5つの賞をはじめ、数々の輝かしい成果をおさめた。(週間話題)

同じ年代の公開番組

毎日世界ニュース 430 南海初優勝 日本シリーズ

プロ野球日本シリーズ。1959年10月29日、南海3連勝のあと、後楽園球場で迎えた巨人土壇場の第4戦。ストレート勝ちで悲願達成の意気あがる南海3回表の攻撃。ランナー広瀬叔功を1塁に、巨人はエース藤田元司をマウンドに送って必死の防戦。バッター杉山光平の打球は左中間へ、センター加倉井実懸命に前進したが抜かれ、この間に俊足広瀬が1塁から一挙にホームイン、南海が先制の1点をあげた。追い詰められた巨人は6回藤田が強引に盗塁し懸命の攻撃、しかし、4戦連投の杉浦忠投手を崩せず、国松彰もあえなく凡退して得点できず。南海7回の攻撃、ランナー1、2塁で鶴岡一人監督に激励された杉浦がレフト前にクリーンヒツトして1死満塁、続く穴吹義雄はショートゴロ、広岡達朗捕ってバックホーム、藤尾茂捕手が落球の間に岡本伊三美ホームイン。続く森下正夫はライトフライ、国松捕ってバックホーム、しかし高い球で藤尾捕手後逸、3塁から寺田陽介悠々ホームイン。南海は藤田投手を再び打ち込んでダメ押しの2点をあげた。いよいよ最終回、巨人最後の攻撃も杉浦の好投で早くもツーアウト。最後の期待を担ったバッター坂崎一彦もセカンドゴロに倒れて万事休す。3対0で南海優勝。南海は最高殊勲選手に輝いた杉浦の健闘で、待望の優勝を驚異の4連勝で勝ち取った。マウンド上で躍り上がる南海ナイン。念願叶って胴上げされる鶴岡監督を横目に、淋しく帰る巨人の水原円裕監督。こうして南海は4戦全勝の新記録で初の優勝を飾った。


videocamニュース映画
毎日世界ニュース 412 日本の鼓動 六月二十五日

1959年6月25日、閣僚を入れ替えて守りを固めた岸信介内閣は、最大の関門、安保条約改訂問題を抱えて臨時国会に臨んだ。政府の防衛力強化の方針に、一周年を迎えた自衛隊習志野空挺団では訓練にも一段と気合いが入り、海上自衛隊には日米相互防衛援助協定による、戦後最大の国産駆遂艦「てるづき」も誕生した。同じ日、アメリカへ向かう練習艦隊と入れ代わりに、鹿児島港に日本の最南端与論島から平和行進が到着、原水爆禁止の悲願を込めて広島への歩みが続けられた。韓国(大韓民国)から米軍の撤退を求めて気勢をあげる北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の人々も、帰国を前に喜びの表情が溢れているが、この日は祖国の姿そのままに、南北入り乱れての朝鮮動乱記念日となった。防衛庁前には安保条約改訂反対のデモ隊が押しかけ、日比谷で全国統一行動日の中央大会が開かれた。防衛予算より米価の補償をと農民も立ち上がり、折りから開かれている米価審議会に適正米価を要求して農林省前へ坐り込みの作戦に出た。夜の街では全学連の学生たちがデモをくり返し、またしても警官隊と衝突し、この日のフィナーレは夜の更けるまで続けられた。1959年6月25日は、国の運命を決める多くの問題を抱えて悩む日本の縮図ともいうべき一日であった。


videocamニュース映画