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ニュース映画

毎日世界ニュース 365 生きて来た十三年

番組ID
N00618
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上映日
1958年08月13日(水)
時間(秒)
250
カテゴリ
地域
概要
1958年8月6日、原爆の地広島に運命の記念日がめぐって来た。あれから13年、悲しみも新たに173柱の名簿が渡辺忠雄市長の手で慰霊碑に納められた。この慰霊碑の前を、去る6月20日に出発した1千キロ平和行進は、多数の参加者を集めて、第4回原水爆禁止世界大会を目指して、8月11日に目的地東京に入った。折も折、赤道海域で調査中、10万カウントの放射能を浴びた「拓洋」「さつま」の2隻が、8月7日東京港に帰って来た。船上での処置が適切だったため、幸いにも大した異常は認められなかったが、広島の原爆病院では今なお多くの人々が、いつ果てるともなく病苦と闘っている。自ら原爆の洗礼を受けた温品さんは、長年不幸な人々の世話を見つづけ、医師から見放されがちな人々にとって人知れぬ力となっている。生き抜くには、余りに苦しい13年の歳月、しかし深い怒りと悲しみを超えて、平和の灯は今全世界に届こうとしている。

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毎日世界ニュース 375 岐路に立つ日本

北海道苫小牧の王子製紙の争議は、労働組合を真っ二つに分裂させ、厳しい対立の中で無期限ストを既に3ヵ月以上も続けている。東京では、共同製本のストライキに、会社側は暴力団を雇入れて工場に入れるという戦前を思わせるような事態が起きている。昭和の初め、暗黒時代のメーデーを写したフィルムには、参加者を片っ端から身体検査をしたり、騎馬に乗って弾圧する警官の姿が記録されている。そして、いままた姿を現わした警官職務法(警察官職務執行法)改正案は、国民の間に再び不安の波を掻立てようとしている。そのため、1958年10月14日の国会は、社会党と自民党が激突して大混乱。行き詰まった国会審議は、議長斡旋でひとまず軌道に乗ったが、17日開かれた本会議に社会党が提出した撤回要求決議案は、少数で否決となった。この折、傍聴席から改正案即時実施のビラを撒いて暴れる右翼も飛び出し、国会の内外に一部の右翼の動きが目立つ時勢となった。こうした時期に、岸信介首相が外国人記者に語った内容が内外に大きな波紋を巻き起こした。折から北海道では、自衛隊始まって以来の大演習が行われ、戦争を放棄した憲法9条の改廃が、日本の運命を左右する天目山ともいうべきであろう。自衛隊のジェット基地となる茨城県小川町の百里ヶ原では、基地賛成派が、基地反対派の先頭に立つ山西きよ町長のリコール運動を進めている。苦境に立って、説得に駆けめぐっている山西さんの表情は、そのまま、岐路に立つ今日の日本の表情につながっているのである。


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