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テレビ番組

ザ・ノンフィクション 僕を産んでくれたお母さん 言葉を失ったママと家族の4年 前編

番組ID
219837
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放送日時
2024年02月18日(日)14:00~14:55
時間(分)
45
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
フジテレビジョン(CX)
製作者
フジテレビジョン(CX)
制作社
フジテレビジョン(CX)、オンセ
出演者
語り:上戸彩
スタッフ
構成:田代裕、編集:宮島亜紀、音響効果:石垣哲、EED:若宮慎也、MA:近藤拓弥、AP:高橋彩乃、広報:深田梨沙、テーマ曲:WON、撮影:中林清一、撮影:高津洋志、撮影:君野史幸、取材:宮崎紀秀、編成:村尾一樹、演出:荒井裕晶、プロデューサー:荒井裕晶、チーフプロデューサー:西村陽次郎
概要
ある日、金山さん夫妻と3人の男の子は、13回目の結婚記念日を祝っていた。この日を迎えられるのは、まさに“奇跡”だった。コロナ禍に入る前の2019年9月、救急医療を特集するテレビ番組の取材カメラの前に、一人の妊婦が搬送されてきた。出産予定日まであと2カ月だった金山あさ奈さんは、職場で意識を失い、脳出血で病院へと運び込まれた。医師たちは、母親とおなかの子の2人の命を救うため、帝王切開と開頭手術という2つの緊急手術に挑む。赤ちゃんもあさ奈さんも一命を取り留めたが、あさ奈さんが脳に負ったダメージは大きく、右半身のまひに加え、会話や読み書きが思うようにできなくなる障害が残った。救急搬送から2週間、言葉も発することができない中、ようやく我が子と対面できる瞬間が訪れた。ある日、突然の病に倒れ、運命に翻弄される3児の母と家族の4年を見つめた。

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