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テレビ番組

テレメンタリー2024 92歳 私の仕事 ~被爆者 サーロー節子~

番組ID
218725
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放送日時
2024年08月06日(火)09:55~10:25
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
広島ホームテレビ(HOME)
製作者
広島ホームテレビ(HOME)
制作社
広島ホームテレビ(HOME)
出演者
ナレーション:尾野真千子
スタッフ
撮影:中川聖嗣、編集:中川聖嗣、音響効果:冨田康、MA:江草育真、CG:中山瑠璃子(デザイン)、その他:高畠晶(コーディネート)、ディレクター:斉藤俊幸、プロデューサー:立川直樹
概要
カナダ在住の被爆者サーロー節子さん(92歳)は、広島で中村節子として生まれ、13歳のときに被爆した。カナダ人の夫と結婚した後、ソーシャルワーカーとして働ながら、世界各国で自身の被爆体験を語り続けてきた。2017年にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が核兵器禁止条約成立への貢献でノーベル平和賞を受賞した際には、ICANを代表して授賞式の壇上に上がった。ともに声を上げてきた被爆者が志半ばで亡くなっていく中、92歳になった今も「声を上げることをやめるわけにはいかない」と活動を続ける。現地カナダでサーローさんの「過去と今」を探る。

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原爆投下直後に日本映画社のスタッフが撮影したフィルムが、ユネスコ「世界の記憶」にほかの写真などとともに登録申請されている。この記録映像を見つめ直す、情報番組「イマナマ!」のニュースシリーズ企画。◆「原子野をフィルムに収めて」(2024年5月23日放送)/日本映画社(日映)元ディレクター・相原秀二さん(故人)の証言をたどる。日映は日本の原爆調査団の補助機関として撮影を始めたが、占領により主導権は米国に移る。フィルムが米国側に没収されても取り戻せるよう「客観的・科学的に撮影すること」を徹底して撮影は続けられた。◆「校舎が『救護所に』…袋町小学校」(7月12日放送)/被爆直後の広島を訪れた日映のスタッフによって撮影された袋町救護病院の映像。実は袋町国民学校(現在の袋町小学校)の建物が臨時の救護所として使われていた。児童・職員はほぼ全滅したが、校舎は当時珍しかったコンクリート造りだったゆえ、かろうじて耐え、傷ついた人を受け入れた。建物には家族に消息を伝えたり、安否を尋ねる「伝言」も残されていた。卒業生3人が当時の記憶を語る。◆「語り始めた92歳の被爆者」(6月4日放送)/原爆投下から79年近くが経ち、初めて自らの体験を語り始めた才木幹夫さん(92歳)。当時は広島第一中学2年生で、その日は作業が休みだったため、自宅で被爆した。才木さんは一命をとりとめたが、建物疎開に駆り出された生徒ら353人は亡くなった。当時の記憶を封印し、仕事に邁進してきた才木さんだったが、ロシアのウクライナ侵攻を機に「証言者」になることを決意する。あの日の惨状と平和の大切さをどう伝えたらよいか、日々手探りを続けている。


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託されし人たち ~被爆79年 約束の時~(英語字幕版)

2024年3月末の時点で、被爆者の人数は約10万6,800人となった。15年前より約13万人減少し、平均年齢は85歳を超える。原爆の悲惨さ、被爆の実相を伝えてきた証言活動が年々難しくなっている。一方、被爆者たちの記憶や体験を語り継ぐ「伝承者」は年々増え、それぞれの悩みや思いを抱きつつ、伝承者として歩み出している。被爆した父を失った細川洋さんは、生きているうちに聞いておけばよかったと後悔の念を抱きつつ、父が被爆した場所を巡り始めた。語られなかった95歳の母の被爆体験を受け継ぐ矢木慶子さんは、母親が生きているうちに伝承を急ぐ。そして、最年少の20歳で伝承者になった大学生の増本夏海さんは、戦争を知らない同世代に平和への願いを発信していく。いつか訪れる被爆者の死。被爆者ではない伝承者たちが、被爆者の代わりとなり、何を考え、何を伝えていくのか。3人の物語を通じて、次の時代に平和を伝えることの意味を考える。※日本語と英語の字幕あり◆英語タイトル“Those Entrusted to Us -- 79 Years After the Atomic Bombing:A Time of Promise”


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