テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

日本のチカラ 「カニカマ製造機」世界をまわる! ~蒲鉾屋から世界のものづくり企業へ~

番組ID
210546
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年06月22日(月)09:30~10:00
時間(分)
27
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
山口放送(KRY)
製作者
山口放送(KRY)
制作社
山口放送(KRY)、民間放送教育協会
出演者
ナレーター:國本泰功
スタッフ
テーマ音楽:高嶋ちさ子、カメラ:山本透、カメラ:綿野光士、音声:兼弘文生、音声:原田真也、音響効果:河口司、美術:花崎美香、EED:五嶋球児、ディレクター:田村康夫、プロデューサー:竹村昌浩、プロデューサー:雪竹弘一
概要
魚のすり身で、本物のカニそっくりに作られた「カニ風味かまぼこ」=「カニカマ」。およそ40年前に日本で生まれた食材だが、今では世界各国で食べられており、海外での消費量は日本国内の10倍にのぼる。カニカマの“世界進出”を支えたのは、「カニカマ製造機」を海外に送り出した日本企業の存在だ。山口県宇部市の食品機械メーカー「ヤナギヤ」。従業員150人。カニカマ製造機を19ヶ国に輸出し、世界シェア約70%を占める。大正5年の創業時は蒲鉾屋だったヤナギヤ。機械メーカーに転身し、世界に誇るものづくり企業となった。そしてカニカマ製造機に限らず、さまざまな機械づくり、ものづくりへの挑戦を続けている。その成長と挑戦を支える力の源を探る。

同じ年代の公開番組

語り継ぐ…戦後70年愛媛の記憶

戦後70年という月日は私たちにとって何を意味するのか。その時を生きた人々が語る貴重な証言から考える。みんなのニュースえひめスペシャル。◆「物がない日常の記憶」:太平洋戦争を10代という多感な年頃で過ごした女性たちに、当時のリアルな日々の生活について聞く。そして満足に食べることもままならなかった戦時中の食事を、記憶をたよりに再現してもらう。◆「松山空襲、戦禍の記憶」:1945年7月、愛媛県内最大の空襲となった松山空襲。当時15歳だった中山淳さんは兄弟の手を引いて走り、水田のあぜ道で難を逃れた。この時の米軍の作戦任務報告書には、最大限に破壊効果が得られる爆弾の量や破壊率などが詳細に記載されていた。松山は2時問で焼き尽くされ、中山さん曰く「音さえも燃えた」という。◆「練習台にされた町の記憶」:原爆が投下される直前の1945年7月。愛媛県東部の工業都市・新居浜に2発の模擬・原子爆弾が投下された。米軍はこの模擬原爆を全国49ヵ所に投下し、集めたデータを元に広島・長崎への原爆投下を決行した。◆「物言わぬ爪痕が刻む記憶」:戦闘機や偵察機などの飛行機を敵の空襲から守るために作られた掩体壕。元海軍航空兵の杉野富也さんは、日々死を覚悟しながら戦いの空へと飛び立った一人だ。旧松山基地の掩体壕を「遠い空で死んでいった仲間の墓標として残してもらいたい」と話す。◆「記憶を平和へ語り継ぐ」:愛媛県東部の商業都市・今治市で10歳の時に終戦を迎えた新居田大作さんと、現在「平和学」の授業で戦争について学ぶ大学生・清水里紗さん。二人の交流の中で悲惨な戦災体験が昨日のことのように語られる。時間の限り伝える努力をしたいという新井田さんの話は、清水さんの心境を「想い」から「行動」へと大きく変化させていく。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
KNBふるさとスペシャル 沈黙の70年 富山大空襲と孤児たちの戦後

「戦争孤児」。戦争が理由で孤児になった20歳未満の人の総称だ。昭和23年2月、当時の厚生省が実施した「全国孤児一斉調査」。その結果、第二次世界大戦による戦争孤児は12万3千人余り、富山県内にも427人いることがわかった。しかし、その事実が明らかにされたのは30年余り後のことだった。◆昭和20年8月2日未明の富山大空襲。米軍のB29が富山市に落とした焼夷弾は56万発以上。死者は約3千人(推計)。米軍が爆撃目標にした市街地破壊率は99.5%と、空襲に遭った日本の都市の中では最も大きな被害を受け、多くの子どもたちが孤児となった。長野県で暮らしている藻谷研介さんもその1人だ。焼かれた富山市の実家跡地や一晩身を置いた松川を息子らとともに訪ね、記憶を語り継いだ。藻谷さんは戦後、縁戚や姉の嫁ぎ先などを転々とし山口県へ。「振り返れば家族再建の70年だった」と振り返る。◆富山市郊外の児童養護施設「ルンビニ園」。昭和22年、戦争孤児を寺に保護したのがその始まりだ。卒園生の坂口勝久さん(北海道在住)は小田原空襲の戦争孤児。ルンビニ園の理事長・恒田仙英さんに会うため、富山市を訪れた。目的は、同窓会作りだ。同じく孤児で、園時代の旧友・鮫島一さんと共に、県内在住の卒園生を訪ねるが…。◆焼け跡にたたずむ子どもたち。そんな孤児たちに国はどのような救いの手を差し伸べてきたのか。戦後補償に詳しい立教大学の前田一男教授は「敗戦で国家の戦争は終わったが、孤児が生きるための戦いはそこから始まった」と語る。戦争孤児の戦後70年の人生を見つめることで、日本が築き守ってきた「平和」を改めて考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.